2026年9月26日「あなたはどう思うか」「西川晶子牧師」

礼拝説教

/2026年9月26日、27日  聖霊降臨後第18主日 礼拝説教
要旨

「あなたはどう思うか」

エゼキエル18:1-4&25-32、フィリピ2:1-13、マタイ
21:23-32
父の言ったとおりにした兄、口では良い返事をしながらそうしなかっ
た弟。どちらが父の意志を行っただろうかという、たいへんシンプルな
たとえ話です。しかしこのたとえ話は、「正解を選べ」とただ言われて
いるのでもないと思います。
旧約聖書の時代から、ぶどう園は神様が造られたこの世界のたとえと
して用いられます。神様が造り、私たちにゆだねられた世界、そして、
この譬え話で問われているのは「父親の望み通り」にしたかということ
でした。
イエス様はこのたとえを当時の祭司長たちや民の長老たちとの権威に
ついての問答の後で語られました。彼らは当時の社会において、一般の
人々から見れば「聖書の言葉をよく学んでいる」「御心をよく聞いてい
る」と言われている人たちでありました。また彼ら自身、彼らなりに神
様を信じ、その教えである律法を大切にすることを求めていました。し
かしイエス様は、その彼らに向かって「あなたたちの方こそこの弟のよ
うなものではないか」と言われるのです。
わたしたちには神の御心を生きることを確かに求められている。そし
てそれはわたしたちがここから出て「行って」、働く、その日々のいの
ちにおいて起こることです。「わたしたちの主であるイエス・キリスト
が「悔い改めよ」と言われたとき、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めで
あることを欲したもうたのである」(マルティン・ルター「九十五か条
の提題」)
「あなたたちはどう思うか」。イエス様はそう言われます。「あなた
は今、どこに立っているか」「神の御心はどこにあると思うか」、それ
は私たちの一生を通して続く歩みを導く厳しい問いかけです。しかしこ
れは裁きではなく、招きの言葉です。「どうしてお前たちは死んでよい
だろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生
きよ」(エゼキエル18:32)。悔い改めるよう、つまり、神さまとの正し
い関係に戻るよう呼びかける言葉の前に、わたしたちはしばしば、自分
の弱さを見せつけられるかもしれません。しかし、それらの言葉は、何
よりも「あなたに生きてほしい」という、神さまからの私たちへの思い
の表れなのです。勇気をもって、その招きに応えていくものでありたい
と願います。