2026年8月29日「信従」「西川晶子牧師」

/2026年8月29日、30日  聖霊降臨後第14主日 礼拝説教
要旨

「信従」

エレミヤ15:15-21、ローマ12:9-21、マタイ
16:21-30
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って
、わたしに従いなさい」とても明確なイエス様のご命令です。しかしこ
の言葉の前に、私たちは尻込みをしてしまうことも多い、そんな言葉で
はないかと思います。
 特にこの言葉は、イエス様が、弟子たちに対して「受難予告」を語ら
れた、それに続く言葉です。この道をあなたがたはついて来ることがで
きるか、そう問われているように思います。
私たちは、信仰の先輩たちや歴史上の人物から、「十字架を背負って
従った」と言える人を思い浮かべることができると思います。しかした
とえばボンヘッファーやコルベ神父のような人物の最後の行為だけを取
り出して「これが十字架を背負うことだ」と考えてしまうとしたら、そ
こで私たちはむしろ、大切なことを見失ってしまいます。「十字架を背
負う」こと、それは特別な英雄的な行為だけを指すのではなく、むしろ
この世の中で、イエス様が指し示してくださったことを生きようとする
ことではないでしょうか。
今日のローマ書の日課では「キリスト教的生活の規範」が語られてい
ます。このように生きられたらどんなにいいかと思います。ですが同時
に、こう生きることは難しいと、日々感じます。しかし、その私たちを
イエス様が、そしてイエス様を贈ってくださった神様は愛し抜いてくだ
さる。これが今日の福音です。
今日の福音書の始まりの受難予告において、弟子のペトロはその言葉
に驚き、イエス様を脇へお連れしようとします。しかしイエスはそのペ
トロの言葉を退けて、なおも先に進まれます。それは十字架に向かう道
です。神の道を妨げるような私たちであるにもかかわらず、神は私たち
を生かすため、イエス様の十字架と復活によってこの世を愛しぬく、と
決めて実行されたのです。
「従う」をドイツ語で「Nachfolge」と言います。これは「後について
いく」ということです。私たちはイエス様の後を歩む者です。私たちの
いのちをその身で担って下さったキリストが私たちの前を歩まれる。私
たちは、つまずきながら、迷いながら、その方についていくのです。そ
の歩みを求めていきたいと思います。