2026年4月18日「エマオにて」西川晶子牧師

礼拝説教

/2026年4月18日、19日 復活節第三主日礼拝説教要旨

「エマオにて」

使徒2:14a&36-41、Ⅰペトロ1:17-23、ルカ
24:13-35
私たちルーテル教会の聖書日課では、この復活節の三週目まで、イエ
ス様が復活して近しい人たちと出会われた「復活顕現」のできごとが語
られます。
十字架の死から復活されたイエス様が、エマオという村に向かう途中
の道で、二人の弟子に出会って共に歩かれる。しかしこの弟子たちはそ
のことに気づかず、イエス様は彼らを「物分かりが悪い」と言われます

この二人の弟子にとって、イエス様の十字架はまだたった三日前のこ
とです。まだ混乱から立ち直れるような状態ではない。この二人はイエ
ス様の復活の知らせをすでに女性たちから聞いていました。にもかかわ
らず、彼らはそれを信じることができない。この二人の弟子のように、
イエス様の福音を聞いてなお、「暗い顔をして立ち止まる」ことは、私
たちにもしばしば起こります。
イエス様は、その彼らのことを「物分かりが悪い」と言いました。こ
れは頭が良くないとか勉強ができないいうことを言っているわけではあ
りません。目の前で起こったできごとに心を奪われてしまって、それ以
上のことを考えられない。イエス様は十字架で死なれた、もうおしまい
だ。もう何もそこから希望は生まれない。衝撃的な出来事の前に、心が
塞がれてしまって希望を失ってしまっている、それが彼らの状態ではな
かったかと思うのです。
しかし、その二人にそっと寄り添って、いつの間にか共に歩んでくだ
さっている方がおられる。イエス様がパンを裂いてくださったときによ
うやく、この二人の弟子たちは、実はこれまで一緒に歩いてくださって
いたのがイエス様だったと気づきました。しかしイエス様は、この食卓
の席で、急に現れたわけではない。イエス様はその前から暗い顔をして
いる彼らに近づき、共に歩いてくださっていた。
私たちもまた礼拝までの日々を、暗い顔をして歩むときがある。しか
しその道の中でも実は、イエス様は確かに共に歩んで下さっていた。そ
れを思い起こすのが私たちの礼拝です。二人の弟子は、イエス様に出会
い、心を燃やして再び彼らの現実へと戻っていきました。その歩みもま
た、主が寄り添って下さる道なのです。そのことに励まされ、私達もこ
こからまた新しく歩んでまいりましょう。