礼拝説教
/2026年10月24日 聖霊降臨後第22主日 宇部・厚狭礼拝説
教要旨
「敬天愛人」
レビ記19:1-2&15-18、Ⅰテサロニケ2:1-8、マタイ
22:34-46
「隣人をあなた自身のように愛しなさい」…キリスト教といえばこの
言葉、と思い浮かべる人も多い、キリスト教は隣人愛を大切にする宗教
なのだ、というイメージを象徴する、そんな御言葉ではないかと思いま
す。
この言葉は、最初に読まれたレビ記の19章を元にした言葉です。イエ
ス様はここで、まったく新しい特別なことではなく、聖書の掟の根本に
あるものは何か、ということを示されたのです。
そもそも、聖書の掟の律法は、古代イスラエル民族が、神様によって
エジプトの奴隷状態から救い出され、その神の民となる契約を結んだ際
に与えられたものです。その律法の一部であるレビ記19章は、「あなた
がたは聖なる者となりなさい」という言葉で始まります。「聖なる者に
なりなさい」と言われると、どんな清廉潔白な人にならなければならな
いのだろうか、と不安になることもある。
しかし律法というのは「そうあらねばならない」というのではなく、
神の救いがまず先にあることに心を留めたいと思います。神様が先ず神
の民を救い出し、御自分のものとしてくださった。では、神のものとし
て、この世をどう生きるか。その方が、私たちにどう生きてほしいと思
っておられるか。そのことを指し示すのが、聖書の掟のもっとも重要な
本質なのです。
その恵みは、今のわたしたちにも注がれています。イエス様ご自身が
、救い主として神のもとから私たちのところに来られることによって、
私たちの中で神様の愛を示してくださったからです。イエス様は、神様
からのメシアとして、私たちのところに来てくださった。それほどまで
に神様は私たちのことを愛してくださった。そのことを私たちが自分自
身の中に受け止めるとき、私たちがどう生きるかということは、おのず
から示されてくる。神を愛し、人を愛するということは、まずこの私を
どこまでも愛して下さった方を知るところから始まります。この私をど
こまでも愛しぬいてくださった方、その方と共にこれからの道を、愛さ
れた者として、どう歩むか。その一歩一歩、出会う一人一人を大切に、
人として歩んでいきたいのです。