礼拝説教
\2026年1月24日、25日 顕現後第三主日礼拝説教要旨
「地の果てからの福音」
イザヤ8:23‐9:3、Ⅰコリント1:10-18、マタイ4:12-23
教会の暦は、今日から本格的に前進を始めます。しかし、今日の福音書で語られたイエス様の宣教の第一声は、神の都とされたエルサレムではなく、そこから遠く離れたガリラヤ地方のカファルナウムという町から始まります。
マタイ福音書はそれを、イエス様が「ヨハネが捕えられたと聞き、ガリラヤに退かれた」からだと語ります。イエス様はヨルダン川で、洗礼者ヨハネから洗礼を受けた。しかし、その後、ヨハネは領主ヘロデ・アンティパスによって投獄される。だからイエスはそのままガリラヤに退いた、というのです。当時のガリラヤは、中心地であるエルサレムから見れば片田舎です。地理的にではなく、宗教的にも「中心から遠い所である」とみなされていたのが、ガリラヤ地方でした。
マタイの中で、イエス様は何度も「退かれた」とあります。わたしたちはこの言葉にあまり良いイメージを持ちません。宣教を始めるのに都エルサレムに行かず、カファルナウムという片田舎に向かうイエスさまも、これはおそらく当時の人の目にはイエス様の活動の後退と見えたのではないかと思います。
しかし、そのイエス様が退いて行かれた先で、イエス様はそのみことばを語り始められた。そして、マタイ福音書はこのことによって「旧約聖書で言われていた救いの出来事が実現した」と、旧約聖書のイザヤ書8:23~9:1を引用します。「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ…」ガリラヤは、当時のエルサレムから見れば、「見捨てられた土地」「神の救いが届かない土地」でありました。しかし、そこに神の恵みが差し込み、そこに住む民は希望の光を見るときが来る。これが旧約聖書の約束でした。
「イエスさまがヨハネの逮捕によってガリラヤへと退かれたが、そこで声を上げられ、そこから神の救いの出来事が始まった」…イエス様は、神の言葉を携えて、そこに住む人たちと出会うために、カファルナウムに向かわれます。イエスさまの訪れによって、はまさに地の果てとみなされていた場所で恵みが始まったのです。「退いた」と見えるような出来事の中でこそ輝く、神様の恵みの出来事がある。そのことに信頼して、私たちもイエス様と共に歩みだしたいと思います。