礼拝説教
/2026年2月21日、22日 四旬節第一主日礼拝説教要旨
「荒れ野を歩む」
創世記2:16-18&1-7、ローマ5:12-19、マタイ4:1-
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先週の水曜日から、教会の暦は「四旬節」に入っています。イエス・
キリストの苦難と、その十字架の死に向かって、心を整えていく40日間
(日曜日を除く)です。そしてこの四旬節の最初の日曜日の礼拝、ルー
テル教会の日課では毎年、このイエス様が荒れ野で誘惑を受けられた、
というできごとが読まれます。
荒野で断食されているイエス様は、そこにやって来た悪魔(サタン)
によって誘惑を受けられます。悪魔とは「誘惑する者」という意味で、
わたしたちを神さまや、良い生き方から引き離そうとする存在のことを
言います。そしてそれはわたしたちの近くに確かに存在する者であると
思います。そしてそれは私たちの身近なところに潜んでいるものである
と思うのです。
悪魔はイエス様に「わたしを拝むなら、世界のすべてを与えよう」と
言われます。悪魔を拝む、世界のすべてを得る、現代の私たちにはあま
り現実味がありません。しかしたとえば私たちの前に、人を傷つけ自分
が得をする道と、誰かを生かすけれども自分は得をしない道があれば、
私たちはつい、前者を選んでしまう。それが「私(サタン)にひれ伏す
」ことではないかと思います。
イエス様は、今日の悪魔の誘惑を退けられました。悪に仕えて自分を
救う、その道を断ることをイエスは選ばれます。そしてそれはイエス様
が、この四十日だけではなく、その全生涯をとおして歩まれた歩みでも
あります。
この四旬節の終わりに、私たちはイエス様の十字架を見ます。イエス
様はそのご受難の際に、「神の子なら自分を救ってみろ」と人々からの
のしられます。しかしそのような声の中で、イエス様は、ご自分を救う
よりも、わたしたちのために、その命を与え尽くすことを選ばれた。そ
の十字架を見届けたローマの兵士は「この方こそ本当に神の子だった」
と呟きます。
自分自身よりも、わたしたちを生かすことを選んでくださった神の子
、そのイエス様の大きな愛と、私たちはこの四旬節の中で出会うのです
。この方についていくことがわたしたちのキリスト者としての歩みです
。わたしたちも、深い悔い改めと希望をもって、歩みだしましょう。
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