2025年9月20日「不正のすすめ」西川晶子牧師

礼拝説教

/2025年9月20日、21日  聖霊降臨後第15主日説教要旨

「不正のすすめ」

アモス8:4-7、Ⅰテモテ2:1-7、ルカ16:1-13

今日の「不正な管理人」のたとえ話は、イエス様が語られたたとえ話の中で、最も不可解なものではないでしょうか。たとえ話そのものが難しいわけではないのですが、「イエス様はなぜこんな、不正を容認するようなたとえ話を語られたのだろうか」と、考え込まされる、そのような物語です。

しかし、倫理的な良し悪しは別として、やはりこの管理人の「抜け目のなさ」には驚かされます。主人の財産をごまかし、それを追及されることを恐れた管理人。ここで彼は自分がもっているもの、つまり主人から管理するように言われていた財産を、自分が助かるために最大限に利用するのです。主人に負債のある人の証文を書き換える。という方法でこの管理人は、自分は一切損をせず、主人の財産を使って人に恩を売っています。しかし、さらに信じがたいことに、この主人はこの不正な管理人の「抜け目のないやり方をほめた」というのです。

この不正な管理人は、自分が生きるために、主人の金を大胆に使いこもうとしました。このたとえ話の中の主人を神様、そして管理人を人間とするならば、主人の金とは神さまからわたしたちに委ねられている何か、と考えてよいと思います。私たちにはひとりひとり、神様から管理をまかされているものがあり、それをよりよく管理することを求められている。しかし私たちはやはりそれを「無駄遣い」してしまいがちで、そしてこのように神様から指摘されて、初めて気づかされるものではないかと思います。

しかしその私たちに、イエス様は言われます。「不正にまみれた富で、友達を作りなさい」。この管理人は、不正にまみれた富をため込むのではなく、大胆に周りと分かち合いました。それは彼自身のためでしたが、結果的にそのことによって周りの人は助かり、主人の名も挙がりました。私たちの存在こそが「不正にまみれた」者であるのかもしれない、しかしイエス様は、そんな私たちが、自分自身を大胆に生かして生きることを、ほめてくださるのではないでしょうか。「小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」…この「不正」な自分ごと差し出して、私たち自身を神さまの御用に用いていただければと思うのです。