礼拝説教
/2025年8月2日、3日 「平和の主日」説教要旨
「それでも、平和を望む」
ミカ4:1-5、エフェソ2:13-18、ヨハネ15:9-12
私たち日本のルーテル教会は、この8月第1週を平和主日として守り
ます。これまでこの主日は過去の戦争の惨禍を思い起こす日という色合
いが強かったと思います。しかし今、私たちはこの時代の中で改めて、
平和とは何かと、平和を守るということは、と思い巡らすときではない
かと思います。
「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に
向かって剣を上げず もはや闘うことを学ばない」終わりの日、神の国
が実現する日にはこのようになる、とミカ書は言います。剣や槍といっ
た武器が、農業の道具に変えられる。しかし、私たちは、鋤や鎌のよう
な本来いのちを生み出す道具を、いのちを奪う道具として用いてしまう
、そんな愚かさを持つ者です。
しかし、それでも私たちは、誰が何と言おうと、それでも神様は、私
たちのすべてのいのちがその人として大切にされることを望まれている
、というところに立つ者でありたいと願います。そしてそれはまずイエ
スさまご自身が身をもって示して下さった事でもあります。
ヨハネ福音書15章は、イエス様が弟子たちに語った告別説教です。こ
のとき、イエス様はご自分がこれから十字架に向かうこと、そしてその
ときに弟子たちが自分を見捨てることをご存知でした。にもかかわらず
主は「わたしはあなたたちを愛している」と言われます。これはイエス
様が十字架にかかられ、死なれ、復活されてからも変わりませんでした
。そしてそのように私たちを愛しぬかれた上で、イエス様は私たちに対
して「互いに愛し合いなさい」と言われるのです。
イエス様が十字架によって成し遂げてくださった平和は、わたしたち
と神さまとの関係の回復でした。それは何よりもイエス様がわたしたち
をまず愛しぬいてくださることによって、成し遂げられました。わたし
たちにとって、平和をつくることは難しいことです。しかしそのわたし
たちのためにまずご自身が私たちへの愛を示すことにより、平和への道
を開いてくださったイエスさまがおられます。その方を見上げるところ
から、わたしたちも平和を求めることをあきらめずに歩み続けたいので
す。