礼拝説教
/2025年7月5日、6日 聖霊降臨後第四主日説教要旨
「主の派遣」
イザヤ66:10-14、ガラテヤ6:1-16、ルカ10:1-11&16-20
今日の福音書の中では、イエス様の弟子たちの宣教の派遣と、彼らを送り出すイエス様のメッセ―ジが語られました。イエス様は今日、72人の弟子たちを宣教へと派遣されましたが、彼らのほとんどは聖書に名前が記されていません。しかし、イエス様は確かに彼らに、ご自身のミッションをゆだねられます。そして、この名もなき弟子たちのように、わたしたちもまた、イエス様によってこの世の中に、イエス様のミッションのために遣わされていくものであるのです。
イエス様は、「ご自分が行こうとされていた場所に、弟子たちを遣わされた」と記されています。イエス様は、恵みを届けたいと思われる場所に、御自分の愛する弟子たちを遣わされた。そして、たどり着き、迎えられたその場所において、私たちは「平和を告げなさい」と言われます。
私たちがイエス様によって宣教に遣わされる時、必要とされるのは弟子たちのように大きな奇跡を行うことではありません。イエス様が「神の国を告げる」という時、それは「あなたは神に覚えられている」「あなたは神にとって大切な存在である」、弟子たち自身も受け取ったこのメッセージを届けること、これが私たちのこの世界の中でゆだねられた働きなのです。
しかし、それが簡単ではない場面もあります。イエスいう場合、「足の塵を払い落としなさい」と言ってくださるところでしょう。これは「伝えるべきことを伝えたのなら、思い切って次へ行ってもよい」という励ましであるように思えます。
そして、その人がふさわしいかを決めるのも、わたしたちではなく神様なのです。恐れや争いがあるこの世界の中に神の平和を届けることは、決して簡単なことではありませんが、しかしそれでも私たちが届けようとした平和は無駄になることがない。それが私たちにゆだねられた、神のことばの働きであると思います。そのことに信頼し、私たちも今ここで神の平和をあずかり、届ける者となって行きたいと思います。