2025年6月14日「わたしの礎」西川晶子牧師

礼拝説教

/2025年6月14、15日 三位一体主日説教要旨
「わたしの礎」

箴言8:1-4&22-31、ローマ5:1-5、ヨハネ16:12-15
イースター、ペンテコステという祝祭が終わり、教会暦は「聖霊降臨
節」に入ります。「キリストの半年」から「教会の半年」へと移り変わ
ろうとするこのときに、教会ではこの「三位一体」というキリスト教の
独自の概念を記念します。
この三位一体という概念はわたしたちの理解を越えたものです。父、
子、聖霊の神は、三つでありながら、一つである。提唱者の一人である
アタナシウスという人ですら「これは論理的ではない」と前置きをした
ほどです。しかし教会は、この理解を越えた概念を、そのままに大切に
してきました。
わたしたちは三位一体の秘密を理解したい、何とかして解き明かした
い、と願うかもしれません。しかし、私たちは、そもそも限界をもった
、不完全な存在です。そしてその私たちの理解を超えたところに、神の
知恵がある。箴言の聖書日課は、その「わたしたちの思いを超えた、生
きた神の知恵」を語ります。
三位一体、という概念において、神は、父、子、聖霊の三つの「位格
」(ペルソナ)を持っておられるとされます。そのペルソナにおいて、
父なる神はこの世界を造り、そしてその同じ神が、み子において私たち
を救おうと決意され、この世のただ中に訪れ、救いを成し遂げてくださ
った。イエス様のお働きは、わたしたちを救いたいという一人の神のペ
ルソナのお働きであったというのです。
その方は、イエス様の十字架という現実に堪えられず、現実を見失っ
た弟子たちの中において、十字架と復活の業をなしとげてくださった。
そして先週わたしたちが祝ったペンテコステにおいて、父、子、聖霊と
いう、三位一体の神による私たちの救いが成った。三位一体主日はその
ことを記念する時です。
「父と、子と、聖霊のみ名によって」…ルーテル教会の礼拝はこの宣
言で始まり、この宣言で終わります。わたしたちの現実は、この、私た
ちを愛し、生きて働きかけてくださった神様の恵みに確かに包まれてい
る。たとえこの世界が行き詰っているように見えても、しかしこの世界
は、神の愛で満たされている。そのことに信頼し、私たちも、三位一体
の神の恵みに押し出されて新しい季節の中へと、歩みだして行きたいと
思います。