2025年12月13日「夜明けは近い」西川晶子牧師

礼拝説教

/2025年12月13日、14日 待降節第三主日説教要旨

「夜明けは近い」

イザヤ35:1‐10、ヤコブ5:7-10、マタイ11:2-11

イエス様のお生まれを待つ待降節の、第三主日を迎えています。寒くなり、夜も長く、深くなっている。しかしその中で、確かに聖書に約束された救いは近づいてきているのだ、アドベントクランツの薔薇色はその希望を現しています。

今でこそ私たちは、クリスマスをすでに起こったこととしてこの待降節を過ごします。イエス様が生まれた当時、人々の間には決して明確な希望があったわけではなく、多くの人は「救いなど来ないのではないか」とあきらめかけていたのではないかと思います。

そのような中の洗礼者ヨハネの現れは、当時の人に希望をもたらすものであったようですが、しかし、今日の福音書の中でヨハネは牢に捕らわれています。そのヨハネは牢の中からイエス様に弟子を送り、こう尋ねます。「来るべき救い主は、あなたでしょうか。それともほかの方を待たなければなりませんか」牢の中で、彼は不安になっていたのかもしれません。自分の働きは正しかったのだろうか。まだ決定的な救いの兆しはないまま、自分は処刑されようとしている。自分のいのちに果たして意味はあったのか。本当に、救いは来るのか。

イエス様の答えはこうでした。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き…」これは今日のイザヤ書の日課の引用であり、そして実際にイエス様はこのような奇跡を行なわれたと聖書は語ります。そしてそれは、聖書に預言された救い主のしるし、神の救いが届かないとされていたところにこそ恵みは訪れる、そしてその時がイエス様によってその時が既に来ている、というしるしです。

私たちは間もなくクリスマスを祝います。この世界の中にはいまだに、希望はどこにあるのかと言いたくなるような現実がある。しかしそこに神さまはイエス様を送ってくださった、これが私たちの希望の源です。

まだ夜は長井けれども、しかし確かに夜明けは近づいている。神は決して、この世界を、またその中で最も小さくされたところを見捨てない。その恵みを受け取り、希望をもってクリスマスを迎えたいのです。