2025年11月29日「待降ーアドベントー」西川晶子牧師

礼拝説教

/2025年11月29日、30日 待降節第一主日説教要旨

「待降-アドベント-」

イザヤ2:1‐5、ローマ15:4-13、マタイ3:1-12

教会の暦は新しい一年の始まり、イエス様の到来をお迎えする備えをする、待降節(アドベント)に入りました。アドベントは、イエス様の到来をお迎えする準備をする季節です。それはもちろん、およそ2000年前にこの世界で起こったイエス様のご降誕を指しますが、この季節に私たちが記念するもう一つの「到来」はこの世界にイエス様が再び訪れてくださる「再臨」への待望です。

今日、イエス様は福音書の中で「目を覚ましていなさい」と呼びかけられます。これは「終末」を意識させる言葉です。しかしこれはいつも「終末を恐れていなさい」という意味ではないと思います。もちろん肉体的に「眠らずにいなさい」ということでもありません。ある人はこういいます。「アドベントとは美しい白昼夢に逃げることではなく、目の前の現実に目を覚ましていること」だと。

いったい私たちの目の前の現実は、イエス様をお迎えするのにふさわしいものだろうか。私たちにとって、そのことを直視することは勇気がいることです。そして私たちはすべてを心に留めることなどできません。しかしそれでも、この季節に、いつもよりも注意深く、私たちが生きるこの世界の不完全さや危うさ、そのことに対して目を覚ましていること、そのことを考えてもいいのではないかと思います。そしてそのことは、この世界に対する神の憐れみに目が開かれることでもあると思います。

アドベントは「到来」を意味します。神のみ子をお迎えするのに私たちは決してふさわしいものではありません。しかしそのただ中に、神のいのちが到来した。この世界のただなかに、神様はイエス様を送ってくださった。クリスマスは、北半球ではちょうど冬至の頃、いわば世の中の闇がいちばん深くなる時期に祝われます。それはイエス様のご降誕というできごとは、この世界の中の最も暗いところ、そこをめがけて神の恵みが訪れたということなのだ、その神の深い憐れみが私たちの世界の中に現れたのがクリスマスなのだ…これこそが、私たちが備えるクリスマスの本当の喜びの源であると思います。勇気をもって目の前の現実に目を覚ましつつ、恵みの到来に希望をもって歩みたいと思うのです。