礼拝説教
/2025年11月22日、23日 「永遠の王キリスト」主日礼拝説教要旨
「終わりとはじまり」
エレミヤ23:1‐6、コロサイ1:11-20、ルカ23:33-43
本日の聖霊降臨後最終主日をもって教会の暦はひとめぐりし、来週の待降節から、教会の新しい一年が始まります。そしてこの最終主日は、「永遠の王キリスト」を記念する日とされています。この主日はそれほど新しいものではなく、今からちょうど100年前、世界でファシズム政権が台頭しはじめてきた時期に、当時のカトリック教会において制定されたものです。おそらくそれは当時の社会情勢と無関係ではなかったのでしょう。
そしてこの日、ルカ福音書を通して私たちに示されるのは、人々から見捨てられ、嘲られ、ののしられるイエス様の姿です。「神の子なら、自分自身を救ってみろ」。イエス様はこのようにののしられながら、十字架の上で死んでいかれます。それは私たちが考える「王」からはほど遠い姿です。
その方は、同じく十字架に苦しむ一人の犯罪人に「あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる」と言われます。罪に悩み、重荷に苦しむ人に救いを宣言し、御自分を人をののしるもののために祈られる。その方の中にこそ、神様からの私たちへの思いが現れている。私たちはこの世界の厳しい現実の中で、弱さを抱えて生きる者です。しかしそれでもこの世界の中で、こんな私を愛しぬいてくださる方がおられる。
教会の一年は、そのイエス様をお迎えする準備をする、待降節から始まります。私たち自身の中にイエス様を王としてお迎えする、そのことを意識しつつ、新しい教会の一年へと、歩みだしていきたいのです。