礼拝説教
エレミヤ31:31~34、ヘブライ5:5~10、ヨハネ12:20~33
イエス様の受難を覚える四旬節の今日の説教題を「地に落ちた種」としました。これは「
一粒の麦」としたほうが多くの方に分かりやすいかもしれません。むろんこれは今日の福音
書の日課の中の「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のまま
である。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」とイエス様が言われた有名な言葉からとったもの
です。これはイエス様の十字架の歩みをヨハネなりに表現したものです。「はっきり言って
おく」という言葉は、ヨハネ福音書では、イエス様が大切なことを言われるときに最初にく
る言葉です。ですからこの一粒の麦が地に落ちて死ぬことによって多くの実を結ぶことは、
イエス様の十字架の死が人々の救いにとって必要であることがこの言葉によって伝えられて
います。そのことは今日の日課の後半が、ヨハネ福音書におけるゲッセマネの祈りにあたる
ものであることによって、明らかなことです。
イエス様にとって、今神さまによって定められたイエス様の時、すなわち十字架の死の時
がやってきたことを思われ、十字架への歩みをされます。それは麦の種が地に落ちて、死ん
で目を出し多くの実を結ぶようなものであること、すなわちイエス様の十字架の死が多くの
人たちの救いになることを示しています。と同時にこの地に落ちた麦の種のたとえは、イエ
ス様のこれからの歩みを示すだけにとどまらず、わたしたちの歩むべき道をも示されたもの
でもあります。それは25節、26節を見ればよくわかります。そこには「この世で自分の命
を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」こと、また「わたしに従え」と言われています
。ここは弟子たち、すなわち私たちにどう生きるべきかを示されている言葉です。
今日はいつものようではなく、少し具体的なものを、この麦の種の地に落ちて死ぬと言わ
れたことの具体的な例を紹介したいと思います。しかもこの西中国地区においてのことを二
つほど。そして最後に「この世で自分の命を憎む人」とはどんなことかを見てみましょう。
一つは柳井チャペルでのこと、もう一つは厚狭教会でのことです。柳井チャペルには「ふ
れあいショップ一粒の麦」という働きがあります。もう30年余り前、わたしが以前この宇
部教会の牧師であったころのことです。当時精神的に痛みを負っている人たち、医者から精
神的な病気であると診断された人たちが、この教会の信徒の中にもおられ、また信徒ではな
いけれど教会に出入りしている人たちにもかなりおられました。また宇部の地にちょうどそ
のころ、公によって設立された共同作業所ではなく、精神的に痛みを負っている人たちによ
って設立された、その人たちが集まれる場所、集まれるだけでなく仕事をもできる場所が出
来ました。確か中央町のあたりであったと思います。わたしも宇部教会の牧師であった関係
で、その店に時々出入りしていました。そんな時栁井教会の小泉さんがそのところを紹介し
てくれということで、そこにお連れしました。そしてしばらくたって栁井教会で同じようは
働きを始められました。精神的に痛みを負っている人たちが憩える場所、またパンを焼いた
り、野菜を売ったりして仕事もできる場所を教会につくられたのです。そしてそこの名前を
「一粒の麦」とされ、現在は「ふれあいショップ一粒の麦」となりました。この名前は無論
聖書からとられたものです。この働きはイエス様の心を受けて、一粒の麦が地に落ちて死ぬ
、そのようは心で始められたのだと思います。その働きは、もう30年余り続いています。
厚狭教会は35年近く前「一粒の麦」という本を出されました。この本は厚狭教会の母の
ような方、末田華都子さんの思い出集です。末田華都子さんは若くして夫を亡くされ、そし
てたった一人の息子新太郎さんを結核のためその青年期に亡くされ、その後戦中から戦後に
かけて、京都大学の地塩寮という寮の寮母さんをされました。物のない時期、学生たちのた
めに心を尽くして働かれ、学生たちに影響を与え、また慕われていました。寮母を止めた後
、厚狭の地に帰ってきて、教会の設立や、歩みのために心を尽くされました。厚狭教会にお
ける末田華都子さんの特徴はその宣教のための熱意もそうですが、なんと言っても人々に与
える影響です。会員の藤野和夫さんが末田さんのまなざしについて思いで集に「あの眼鏡の
奥深い所より発するあのまなざしは、そう簡単にできるものではないし、わたしの思いと同
じように変化し、また、閉じている心、狭い心の扉を開こうとしてくださったように感じて
おります。子供が風邪をひいていると、「無理のないように」と真剣な輝きになり、わたし
がパチンコへ行って負けたと言えば、悲しい瞳になり、教会などで挨拶をする時は、必ず握
手を求めてこられ、その時の喜びの輝き、七五三お祝いをするというので、子供たちに和服
を着せてくださった時の嬉しさの輝きなど。」と書かれています。また宇部教会の米城孝さ
んは同じ思いで集に「私は、今でも厚狭教会に行くと思うのですが、教会の中に、何とも言
えないあたたかいものを感じます。それは、あとに続く方々のお人柄にもよることでしょう
が、わたしは、おばあちゃんの(末田華都子さん)遺されたものであると思います。」米代
さんの言われるとおり、末田さんのいつも感謝、感謝と言われる優しい姿が、厚狭教会の基
礎となったと私も思います。
厚狭教会が出された「一粒の麦」の題は単に末田華都子さんの歩みに対してだけにつけら
れたものでないことが、その本を読めばよくわかります。末田華都子さんの歩みには息子さ
んの新太郎さんの歩みが大きな影響を与えており、さらに新太郎さんの歩みには「棘の祝福
」という本を書かれた井上泰さんの影響があります。井上さんは結核で20代で天に召され
ました。信仰の戦いをされ、棘の祝福という言葉が示すように、結核という病気のもとで信
仰の命を歩まれた方で、同じ青年期に結核にかかった息子の新太郎さんはこの本を大切にし
、信仰の歩みの道しるべのようにされました。そして末田華都子さんはこの本を大切にされ
ていたのです。一粒の麦の死は井上泰さんの生き方に影響を与え、それは新太郎さんに、さ
らに末田華都子さんに影響を与え、そして厚狭教会にも影響を与えたのだと思います。地に
落ちて死んだ種がこのように多くの実を結んだのです。
最後に一粒の麦のたとえの後に、弟子たちに勧められた、「この世で自分の命を憎む人」
のことを考えてみましょう。命を憎むと言われるので、何かむつかしく考えるかもしれませ
ん。わたしは簡単に言えばイエス様が神様の御心を自分の心として歩まれたように、わたし
たちもイエス様の御心を私たちの心として歩むことだと思います。この世で生きていくとき
、自分の思いがいつも第一に出てきます。しかしイエス様は、この世で生きるとき、自分の
思い出はなくイエス様の思いを自分の思いとして生きることを示されたのだと思います。そ
う考えるとこの一粒の麦のたとえは比較的身近なものとなるでしょう。確かにそこには葛藤
があるかもしれませんが。