聖書箇所:コヘレトの言葉4:7-12、マタイによる福音書18:18-20
説教題:「主のみ名によって」
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなた方にあるように。アー
メン
- 「教会」総会
昨年の総会礼拝で、コヘレトの言葉を共に聞きました。そして年間主題を「三つよりの糸は切
れにくい」とし、私たちは歩み始めました。このことの振り返りは総会資料に目を通していただ
ければと思うのですが、総会資料には載せられなかった思い、祈りがあったはずです。「教会」
と一括りにはできない思いがあったのではないでしょうか。お一人おひとりに、資料には載せ切
れなかった出来事があったはずです。今日、私たちは教会のこれからを話し合う総会の時を共有
します。誰か個人、牧師であれ役員であれ、誰かの行く末を話し合う場ではありません。教会の
未来を、私たちは語り合うのです。では、教会とは一体どのような場所でしょうか。ある人にと
っては、実家のような場所であり、ある人にとっては一週間の糧を得る場であり、ある人にとっ
てはこれまでを省み、主に従っていこうと思いを新たにする場、そんな風に言えるかも知れませ
ん。教会には社長や、教祖と呼ばれるような人物も、手を合わせ拝むような偶像もありません。
それはつまり、私たちは見たことも、触れたこともない何かに寄り頼み、懸命に信じ続けている
ということです。そしてそこから明日を生きる力、糧を得ているのです。それが私たち、キリス
トに従う群れ、教会の姿です
- 三つよりの糸
聖書とは、その意味で、目に見えない、手に触れられない何かに触れることのできるものだと
思っています。今年据えた主題聖句、「三つよりの糸は切れにくい」この聖句も、私たちに目に
見えない、手に触れられない何かが確かにあることを教えてくれたのではないでしょうか。手に
触れないものが手に触れる瞬間、このことを実感する出来事が二つ、私は印象に残っています。
下関教会での出来事ですが、一つは今年洗礼を受けられたYさん、Aさんの出来事です。教会と
の出会いはずっと昔、その時結ばれた糸が、今なお結ばれ続けていました。神さまとの繋がりも
そうですし、受洗のお祝いに函館から、かつての旧友がお手紙をくださいました。一度結ばれた
繋がりは、簡単に切れないんだということを私たちに教えてくださった、本当に嬉しい出来事で
した。もう一つは、9月に天に召されたUさんと神さまの結びつきです。Uさんが洗礼を受けら
れてから、約80年です。もはや誰も覚えておらずとも、Uさんは神さまとの結びつきを確かに
覚えていたのです。
私たちと教会の繋がりが、目に見えるものだったならば、80年という時間の中で変化も、風
化もするでしょう。しかし手に触れることのできない繋がりだったが故に、80年経っても変わ
らずに残っていたのではないでしょうか。
その他にも今年は様々な出来事を通して、三つよりの糸を私たちは経験してきました。集う形
、家庭礼拝、礼部配信を通した礼拝が一年を通して行われ続けてきました。今では下関、宇部教
会にて行われている毎週のライブ配信も定期的な参加者が与えられています。家庭礼拝も、毎週
行われ続けています。目に見える数、例えば教会では教勢という言葉を使いますが、数字に表さ
れる数以上に、私たちは大きな群れなのではないでしょうか。