2023年8月13日「ペトロの人生と私たち」松富稔子

礼拝説教

〈聖書日課〉 王上19:9-18 ロマ10:5-15 マタ14:22-33
証言「ペトロの人生と私たち」                 松冨稔子
〈祈り〉 御在天の父なる神さま、今日の主日、聖霊の働きにより、ひとつ所に集
められ、又フェイスブックでの配信を通じて、私たちにあなたのみ言葉が働
きかけられることを感謝いたします。つたないしもべを通しても、あなたの
栄光が輝きますように。又、あなたの豊かな祝福が、ここに集いし私たちの
上に、又配信を通して共に礼拝に与る方々の上に、又それらの方々に繋がる
方々の上にもありますように。尊き主、イエス・キリストの御名によって、
お祈りいたします。アーメン。
1 本日与えられました福音書の日課は、イエスさまと弟子たちとのひとつのエピ
ソードの場面が記録されています。新共同訳聖書の小見出しは「湖の上を歩
く」となっていまから、この場面の中心は、あくまでもイエスさまであり、
そのイエスさまの業に主眼をおいて、読み、黙想をすることがふさわしいよ
うに思えます。
   しかし、一信徒である私は、今回、この日課をいただいた時、弟子である「
ペトロの人生について学びなさい」 と示されているように感じました。日課
の後半では、イエスさまとペトロのやりとりが活き活きと記録されているから
です。
  そこで今朝は、今の私たちからは2000年以上昔の、しかも日本から遠く隔
たったイスラエルに生きたペトロという人の人生を考えることによって、私た
ちに示されているみ言葉を、みなさまとご一緒に分かち合うことができればと
思います。
  なお、私は、神学を修めた者ではありませんし、歴史にも地理にも疎い者です
から、事実や真実でないことを含んでしまうかもしれません。ご指摘をいただ
ければ幸いです。
2 「ペトロ」という人について私たちが知っていることはどのようなことでしょ
うか。
  まず、住んでいた所は、イスラエル、ガリラヤ湖の北岸、ベトサイダ(ヨハ
1:44)という所でした。「ベトサイダ」とは、アラム語の「漁師の家」という
言葉を音訳したもののようです(出典:ウィキペディアより)
  ペトロの名前は、もともとは「シモン」。「シモン・バルヨナ(ヨナの息子シ
モン)」(マタ16:17)。「ペトロと呼ばれるシモン」という呼び方は、マタ
イ、ルカに出てきます。又、「ケファ」という名前もでてきますが、これは
、「ペトロ」のアラム語の対応語のようで、「シモン・ペトロ」という呼び方
が一般的であったでしょう。
  ペトロには、兄弟、多分弟であるアンデレがおり、2人は漁師でした(マタ

2
4:18,マコ1:16,ルカ5:2-3)。
  イエスさまが2人を弟子にされたのは、2人が漁に携わっているときでしたが
、ヨハネ福音書によれば、弟アンデレは洗礼者ヨハネの弟子であり、アンデレ
がペトロをイエスさまに引き合わせたと記録されています(ヨハ1:40-42)。
ヨハネ福音書は、エフェソ教会の長老ヨハネによって記されたもので、彼は、
他の3福音書の内容を補正するといいますか、少し異なった視点で書かれてい
ますので、今日は3共観福音書の記録を中心に、ペトロの人生に触れてみたい
と思います。
3 ペトロは、どのような形でイエスさまの弟子とされたのでしょうか。
  マタイ福音書ではイエスさまは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師に
しよう」と言われました(4:19)。マルコ福音書も同様の言葉です。ルカ福音
書では少し状況も異なって、イエスさまご自身が漁を助け、「恐れることはな
い。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われます(5:10)。これ
がイエスさまがペトロを弟子に招かれた福音書の記述です。
  招かれた時、ペトロは、網をすてて(マタ4:20,マコ1:18)、舟を陸に引き上
げ(ルカ4:11)イエスさまに従ったのです。
4 私たちがイエスさまに招かれた時、私たち自身は、どんな状況、どんな気持ちを
持っていたでしょうか。私たちがキリスト者でありたい、キリスト者になりた
いと自分の心に思い描いた時、私たちにもこのペトロに起きたような心の動き
があったのではないでしょうか。
ペトロと兄弟アンデレは、それまでの生活の枠組みを転換させ、イエスさまと
共に生きるという選択を行ったのではないでしょうか。当時のユダヤの社会の
中で、家業を捨てる、ということは、相当な決心と勇気を必要とすることでは
なかったかと、今回改めて私が感じたことでした。
ペトロとアンデレが漁に使っていた舟や網は、一家に代々受け継がれてきたも
のではなかったかと思えたのです。
現代でこそ、私たちには「職業選択の自由」がありますが、ほんの一昔前まで
は、日本においても、家業を受け継ぐということは今以上に当然のように思わ
れていたと思います。そのような歴史を思うと、ペトロとアンデレが、黙って
家出をした訳ではないでしょうから、「俺たちはもう漁師をやめる。イエス先
生についていって、もっと神さまのことについて教えていただくのだ」などと
、まず家族や一族に伝えた時、返ってきた反応は、相当なものがあったのでは
ないかと思えるのです。「お前、舟や網はどうするんか。」「シモンは長男で
はないか。」「一族のことは、どうするのか。」と。きっと責められたのでは
ないでしょうか。家族や、当時のユダヤでは一族が一緒に暮らしていたとのこ
とですから、彼らにとっては、ペトロやアンデレの行為は、まさに青天の霹靂
であったのではないでしょうか。

3

5 ペトロは、どのような人柄だったのでしょうか。
  名前や出身地、職業などを確認していると、私は、サン=テグジュペリが書い
た『星の王子さま』(内藤濯訳 岩波書店 1962)の次の文章を思い出しまし
た。
  「おとなというものは、数字がすきです。新しくできた友だちの話をするとき
、おとなの人は、かんじんかなめのことはききません。<どんな声の人?>と
か、<どんな遊びがすき?>とか、<チョウの採集をする人?>とかいうよう
なことはてんできかずに、<その人、いくつ?>とか<きょうだいは、なん人
いますか>とか、<目方はどのくらい?>とか、<おとうさんは、どのくらい
お金をとっていますか>とかいうようなことを、きくのです。そして、やっと
、どんな人か、わかったつもりになるのです。」
  この箇所を読むと、本当に大人の真実をついているなあと、私は苦笑してしま
います。
  ペトロについても、彼の外形的な面だけではなく、彼自身の内面的な事柄にも
思いを向けていく必要があるように思います。
6 ペトロとイエスさまの関わりの記事は、4福音書と使徒言行録にたくさんの記事
がありますが、今回、これらの記事を読んでいくうちに、私の中でペトロに対
する印象が変わりました。それは、これまで私はペトロに対して、職人気質の
漁師、漁のことなら、ペトロは誰にも負けない熟練者のように思っていました
。が、今回、もしかすると、ペトロには申し訳ない言い方かもしれませんが、
時には失敗もする、ごくごく普通の漁師であったのではないか、と思うように
なりました。
  それは、まず、ルカ福音書5章によるペトロの召命の場面です。その日「夜通
し苦労したのに」ペトロは「何もとれませんでした」「しかし、おことばです
から」と沖に出て網をおろすと、大量の魚が網にかかり、それは、他の舟と分
かち合うことができるほどの量でした。ペトロは、イエスさまに畏れを感じて
「主よ、私から離れてください」と告白せずにはいられませんでした(ルカ
5:1-11)。
  イエスさまは、別の場面で、こう宣べられています。「私が来たのは、正しい
人     
  を招くためではなく、罪びとを招くためである。」(マコ2:17)イエスさまが
、いつも弱い者や虐げられた者と共におられたことを思うと、ペトロ自身も完
璧な者ではなく、欠けの多い者であったのではなかろうか。それだからこそ、
主はペトロに声をかけられ、招かれたのではなかろうかと思えるのです。
7 しかし、又イエスさまは、別の側面も見抜いておられたのではないかと思えるの
です。 それは、今風にいうと「コミュニケーション能力」です。弟子とさ
れた時もそれ相応のイエスさまとのやりとりがあったに違いありません。
  今日の日課の場面においても、湖の上を歩いて渡られるイエスさまをみて、ペ

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トロはイエスさまに「私に命令して」「水の上を歩いてそちらに行かせてくだ
さい」と願っています。(14:28)ペトロは、イエスさまがメシア、神の子だ
と認識しているのです(マタ16:16)。率直にイエスさまに願い出ます。イエ
スさまのたとえ話の意味がわからないときは、「説明してください」と尋ねま
すし(マタ15:15)、イエスさまの変容の場面では、「仮小屋を三つ建てまし
ょう」と提案までするのです(マタ17:4)。
8 イエスさまから学べることは、何でも学びたい。ペトロはすべてを捨てて、イエ
スさまに従ってきたのです。
  けれど、イエスさまは、過越の食事の後で「はっきり言っておく。あなたは今
夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と、言われま
した(マタ26:34)ペトロは「たとえ御一緒に死なねばならなくなっても、あ
なたのことを知らないなどとは決して申しません。」と言います。
  この時は、本心からそう思っていたのです。自分は、イエスの弟子なのだから
、知らないとは決して言わない。けれども、これはペトロの心の中での思いに
過ぎませんでした。現実の世界で、ユダヤ社会の人間から「あなたもあの男と
一緒にいた」と指さされたら、私たちは「いや、私はナザレのイエスなど知ら
ない」と言わざるを得ないのです。社会の同調圧力に立ち向かうのは、並大抵
のことではないのです。少数者として立つことは、大きなエネルギーが必要な
のです。鶏が鳴いて、ペトロはイエスの言葉よりもユダヤ社会を優先した自分
の思いに気付きます。ペトロの激しい嗚咽は、そのまま私たちにも通じるとこ
ろがあるように思えます。
9 しかし、イエスさまは、そのようなペトロの弱さをご存知でした。イエスさま
は、ご自分がペトロを愛されるように、ペトロも又イエスさまを敬愛している
ことをご存知でした。イエスさまの十字架と復活は、このペトロのためでもあ
りました。
  それ故に復活のイエスさまはペトロに対し、「わたしの羊を飼いなさい」と宣
べられます。(ヨハ21:17)公生涯に入られたイエスさまがペトロと出会った
時、イエスさまはペトロに「人間をとる漁師にしよう」あるいは「なる」と宣
べられました。復活のイエスさまは、その計画を変更されます。漁師から羊飼
いへ。今回、私は、ペトロの人生を学びながら、この「変更」ということに深
く感じるものがありました。創世記の天地創造において、神が「光あれ」とい
われると、光があったように、天地万物は、全て神さまの目からはその存在に
、ありように意味があるのだと思います。私たち一人ひとりもそうではないで
しょうか。一人ひとりの存在に意味をもたせようと、神さまは、ご自分のお考
えを時に変更されるのではないかと思えるのです。変わらないものではなく、
変わるものでもある。もちろん、変わらないかもしれない。けれども、神さま
は私たち一人ひとりをいつも見守り、最もよい形を与えてくださるのではない
でしょうか。そこには共に祈ってくださるイエスさまがおられ、私たちのため

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にとりなしてくださる。
  ペトロの人生から、私は、そのようなことを感じ取りました。そして、どんな
人の中にもペトロのような宝が隠されていると思うのです。自分の中に、神さ
まのどんな宝が隠されているか、ペトロの人生と共に考えると、心がわくわく
しないでしょうか。
  ペトロに関する記事は、今日分かち合いましたもの以外にも多くのものがあり
、使徒言行録に残されるペトロの説教は、格調高く、心を打たれます。
  今日は、その説教に触れることさえ叶いませんでしたが、ぜひ、聖書を開いて
みてください。そして、2000年前のペトロに会いに行きましょう。一言お
祈りをいたします。
<感謝の祈り>
  父なる神さま、今朝、私たちは聖書に残されたあなたの愛された弟子、ペトロ
とイエスさまの記録を通して、あなたが私たちをも暖かなまなざしで見守って
くださることを知りました。感謝いたします。2000年前に確かに生きてい
たペトロという人。その面影を偲びながら、この1週間もあなたと共に過ごす
ことができますように。イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン。