2023年6月4日「父と子と聖霊」藤井邦夫牧師

礼拝説教

創世記1:1~2a、Ⅱコリント13:11~13、マタイ28:16~20

 
 今日は三位一体主日です。神様が父と子と聖霊という3つの在り方で私たちにかかわっ
てくださっている、その恵みの姿を覚える日です。子供にとって二人の親がありそれぞれ
が色々な形でかかわってくれるとき、それは幸いなことだと思います。一人が叱り、もう
一人が慰める。これは豊かな在り方だと思います。むろん一人だけの親の場合もあります
。その場合も子供は豊かに育つと思いますが、二人いるということは子供にとってはあり
がたいことです。
 神様は三つの在り方でかかわってくださるのです。これはわたしたちが生きていくうえ
で、特に信仰を持って生きていくうえで大きな恵みではないでしょうか。ただしく真実な
方がわたしたちの前におられる。時には裁き叱られる。このことはわたしたちにとって本
当に大切で必要なことです。また私たちのために命を差し出される方、赦しを与える方、
この方がおられるということはわたしたちをいつも新たにしてくれるものです。またいつ
もそばにいて働きかけてくださる存在。この存在によってわたしたちをいつも慰め励まし
てもらえるでしょう。神様が三つの在り方、すなわち父と子と聖霊という在り方でおられ
るということは、秘跡であり、わたしたちにとって大きな恵みです。ですから、わたした
ちは古代からなされている信仰告白を、すなわち使徒信条、ニケア信条を礼拝ごとに信仰
告白し、覚えています。
 使徒信条もニケア信条も3つの部分で成り立っています。父なる神に対しての告白の部
分、子なる神、イエス・キリストに対しての告白の部分、そして聖霊なる神に対しての告
白の部分です。そして聖霊なる神の部分には教会とその働きについての部分が示されてい
ます。ルターは小教理問答書で使徒信条を説明するときに、彼の特徴、その本質をつかむ
という特性によって、その働きの中心を理解して、父なる神を創造者として理解し、子な
る神を贖い主として理解し、聖霊なる神を清め主として理解し、説明しています。しかし
、それはその中心を言っているので、その働きはその神だけがしているわけではありませ
ん。例えばイエス様が十字架にかかって私たちの贖いとなられました。確かに父なる神様
が十字架にかかられて死なれたのではありません。しかし、神様のみ旨でイエス様は十字
架にかかられたのです。父なる神様のかかわりがなければイエス様の十字架の死はなかっ
たことでしょう。
 このことは今日の第1の日課、創世記を見てもよくわかります。なぜ、三位一体主日に
この創世記の最初の部分が与えられているのか考えてみました。天地創造を示しているの
で、その父なる神を示すためかと思いました。しかしよく見てみると、こうゆうことに気
付いたのです。2節に「神の霊が水の面を動いていた。」とあります。すべてを創造され
る前に、神の霊は存在しています。また、ヨハネ福音書の最初の部分「初めに言があった
。」ご存知のように、この「言」は先在されるイエス様のことを示していますが。ヨハネ
福音書ではこの「言」によってすべてが創造されたと後に続きます。そうなんだと理解し
ていましたが、100%納得したわけではありませんでした。なぜなら創造の業は神様のも
のであったからです。今回この三位一体主日の日課の創世記を見るときにあることに気付
いたのです。それは「光あれ」と神様が言われたら、光が成ったのです。すなわち言葉(
言)が光を存在させたのです。すべてのものが言によってなったということです。創造の
業に三位一体の神はかかわっておられた。しかし、創世記は「初めに神は天と地を創造さ
れた」と力強く宣言し、創造は父なる神の業であることを示しているのです。このことは

わたしが気付き、理解したのであって、あまりたくさん解説書を読んでいませんが、創世
記のこの部分でこのように理解した学者の解説を読んだことがないので、そのつもりで聞
いていてください。
 父と子と聖霊の神がわたしたちにかかわってくださっており、わたしたちはこの三位一
体の神を信じているのです、なんと幸いなことでしょう。今日の福音書の日課には弟子た
ちに、父と子と聖霊のみ名によって洗礼を授けるようにとの宣教命令がイエス様によって
弟子たちになされています。わたしたちはこの命令によって、教会は父と子と聖霊のみ名
によって洗礼を授け、また私たちは洗礼を受けています。わたしたちは正統な洗礼をこの
父と子と聖霊のみ名による洗礼とみなし、そうでないものを私たちの正当な洗礼とみなし
ていません。イエス・キリストを神の子として受け入れていない人たちがいるからです。
 真実で正しい神さまが私たちの存在の根本であることはわたしたちを真実な命の道に導
いてくださいますし、わたしたちのために十字架にかかり死を受け取られ復活されたイエ
ス様を信じることは、わたしたちを罪の道から離れさせ、命の道に歩むように導いてくだ
さいますし、また聖霊を信じることは、わたしたちが一人で放り出されているのではなく
、常に共にいて、導いて育ててくださる方があることを信じさせますし、またその具体的
なもの、目に見える形で存在している教会の存在を受け取って行くことが出来ます。今日
は特に父と子と聖霊、三位一体の神のことを覚えましょう。そのためにも礼拝の最後の祝
福はいつものアロンの祝福ではなく、今日の第2の日課、第Ⅱコリント書にあるもの「主イ
エス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」と
いう祝福の言葉を用いたいと思います。三位一体の信仰が皆さんをしっかりとつかんでそ
の歩みを導いてくださいますように。