2022年12月25日「神さまの恵みの時」藤井邦夫牧師

礼拝説教

イザヤ52:7~10、ヘブライ1:1~4、ヨハネ1:1~14

 
 地球が出来たのは46億年前と言われています。そして今の私たちに通じる新人類として
クロマニヨン人が存在したのは20万年前と言われています。地球の歴史から考えるとほん
のわずかな時です。そして聖書が伝えるアブラハムの時から始まる神様との関係は4000
年から3500年前です。
 私たち個人のこの世での寿命は長くて100年です。今1年を感じるとあっという間に過
ぎてしまいます。100年はその1年を100回重ねるだけです。だから人の寿命はあっという
間に過ぎてしまうと言えます。しかし同時に生活してきた感覚、子供時代、青年期、壮年
期、老年期を過ごす感覚はとても長く感じます。子供のころは大昔に感じます。
 イエス様の時代は2000年前ですし、アブラハムは長くても4000年前です。個人の人生
100年を20回重ねたり40回重ねたりすればその時代です。そう考えると大した前ではあり
ません。しかし私たちの実感は考えられないほど前であり、実際に存在したと思えないぐ
らい前です。でも私たちの実感にもかかわらず、そう長くない前にその時代は存在したの
です。
 人類に神様が自分を示されたのはアブラハムの時からです。そして聖書が伝える神様は
人類に対して恵みの神様でした。確かに義しい神さまは、間違いを犯す人類にノアの箱舟
が伝える洪水のように厳しい姿を示されますが、基本的には恵の神様です。アブラハムに
対して子孫が増えるという祝福と約束を与えられ、アブラハムとその子孫にかかわってく
ださいました。
 次の時イスラエルの民にとって奴隷の状態になっていたエジプトから救い出してくださ
ったことが彼らの神様に対する思いの底にいつも存在していました。この時モーセを指導
者として与えられました。この時の出来事にも不思議な神様の働きがあります。兄弟の嫉
妬によって、ヤコブの子ヨセフは奴隷としてエジプトに売られました。しかし、神様は夢
を解く力をヨセフに与えられてエジプトの大臣とし、飢饉の時を乗り越えることをさせら
れ、父親のヤコブとヨセフを売った兄弟たちも飢饉を生き延びることが出来ました。エジ
プトに定着したイスラエルの民はその後のエジプトの王によって奴隷とされてしまったの
です。しかしイスラエルの民の叫びを聞いて神さまは奴隷としてのエジプトの地からモー
セを指導者として救い出されたのです。ここにも神様の恵みの姿があります。
 次の時にはイスラエルから出たユダヤの民にとって捕囚からの解放が神様の恵みの姿と
して存在しました。この時用いられたのは預言者たち、その中心に預言者イザヤがいまし
た。神様から離れて生活する民に、神様の裁きがあることが伝えられ、その通りにユダヤ
の民はバビロンに捕囚されました。しかしその時の神様の姿は外国に捕囚されたところか
らの解放をもたらす神でした。しかもそれはエジプトで奴隷の苦しみの声を聞かれてモー
セを用いてエジプトからの脱出をもたらされたように、捕囚から神様の一方的な働きで人
を用いて解放が与えられたのです。今日の旧約聖書の日課はこの解放の喜びの知らせを伝
えるさまが描かれているところです。この時イザヤは特別な預言をしました。それは救い
主は自らの命をささげて贖いをするという苦難の僕の姿でした。
 新約の時代となり、神様が人類に対して特別なかかわりをされました。究極的なかかわ
りと言ってよいでしょう。それはモーセや預言者たちを用いられるのではなく、神の独り
子という存在を用いてです。神の独り子の事を今日の福音書や使徒書の日課は強調して伝

えます。その方は人間ではなく、神という方と等しい方であること。造られた存在ではな
く、初めから神様と共におられた方、本質において神様と等しい方。それゆえに世界はこ
の方によって造られたこと。また神様と等しくまことの命、死を超えた永遠の命を持って
おられる方。また暗闇ではなく光である方であることを示し、そうゆう存在であることを
特別な表現で日本語は「言」という一字をもってことばとしました。このことばは原語の
ギリシャ語ではロゴスという言葉です。ロゴスは聖書ではことばとか語るを意味していま
すが、ギリシャでは哲学的な言葉として理性とか秩序を示しています。その根源的な意味
を持つ言葉を、神様の独り子を示すものとして「言」として用いたのです。「言」ですか
ら、神様の御心を表わす方、伝える方なのです。そしてこの方が人間とかかわる中心的な
姿として、「恵みと真理とに満ちていた。」のです。そしてこのような方が肉となって、
すなわち人間となって私たちのところに来られたのです。それが福音書の今日の日課がわ
たしたちに伝えることです。
 そして今日の福音書の日課はまた私たちとの関係において重要なことを伝えています。
それは11~13節のところ「言は、自分の民のところに来たが、民は受け入れなかった。
しかし、言は自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、
神によって生まれたのである。」です。目に見えるところに、目に見えないものが存在す
るゆえに、目に見えるものに支配されがちな私たちにはなかなか受け入れにくいことが生
じるのです。モーセや預言者たちも受け入れられにくかったのですが、神の独り子となる
と受け入れにくいことは確かです。しかし受け入れて神によって生まれるということが与
えられるのです。そして何よりも、このクリスマスは、神様がわたしたちと共におられる
ことが成就したときです。しかも神の子がわたしたちと同じ人間となって、すなわち私た
ちの痛みや弱さを理解してくださる方として私たちと共におられることが実現したのです
。この出来事を今年も感謝して受け取って行きましょう。