2022年7月3日「人を用いられる神」藤井邦夫牧師

礼拝説教

イザヤ66:10~14、ガラテヤ6:7~16、ルカ10:1~11、16~20

 私たちが信仰を与えられて、キリスト者として生きるとき、大切なことはどんなことで
しょうか。今日の日課から聞いて行って見たいと思います。
 福音書にはまずイエス様が72人を派遣されたことが載っています。この72人の派遣は
ルカ福音書にだけ載っています。ルカ福音書には他の福音書にも載っている12人を派遣し
たというものがあります。だからこの72人は特別である、ルカの意図があると考えられま
す。12という数字は使徒の数字でありますので、特別な選ばれた人達と考えられます。で
は72人はどうでしょうか。註解所の解説を見ると複雑な説明がなされていますが、結論を
言うと民数記11:24~30に関連していると言います。民数記のこの箇所はモーセが一人で
たくさんの民を裁くのは大変なので、72人の人を呼び彼の霊の一部を与え働きを担っても
らうことにしたところ、70人はモーセのところに来て2人は宿営に残っていたが、この2
人にも霊が与えられ、預言状態になったのに対して、ヨシュアが止めさせましょうかとい
ったとき、モーセが止めさせないように。自分はすべての人が預言できるようになること
をむしろ望むといった内容のところです。この事を考えると、福音はユダヤ人だけでなく
異邦人にも及ぶということだけではなく、働き人も12使徒だけではなく、多くの人にも任
せられていると考えることがルカの意図だと聞くことが出来ます。これを私たちにあては
めると、イエス様の働き人、証し人は牧師だけではなく、全信仰者に与えられていると考
えることが出来るでしょう。
 派遣されるときのいろいろな注意事項があります。まず「行きなさい。わたしはあなた
がたを遣わす。それは狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。」と言われます。派遣さ
れる先が狼の群れの中だというのです。それはまだ罪を赦された群れでなく、罪の中に生
き、自分のために生きている世界ですから、狼の群れのようなものです。ですから派遣さ
れることは困難さがそこにあることは確かでしょう。しかし、派遣される側はイエス様に
よって派遣された小羊なのです。イエス様によって養われる、またイエス様に忠実な小羊
です。そこに確かさ、安心があるでしょう。
 そして12人の派遣の時と同じように、「財布も袋も履物も持っていくな。」とあります
。これはわたしたちが神様、イエス様によって生かされ、養われているところにしっかり
立つことを意味していると思います。そのことを忘れて、この世の宝に心奪われ、頼りに
し、そしてそれに支配されないようにすることの大切さです。この世の豊かさ、力に立つ
とき、わたしたちは常に不安の中にあるでしょう。しかし、神様やイエス様のところに立
つとき、わたしたちに真の平安があるのです。
 そして家に入ったら、「この家に平和があるように」というように言われています。ま
ず、平和を伝えるのです。これは後の方にその町の病人をいやし、また「神の国はあなた
がたに近づいた。」というように言われている事にも結び付きます。痛んでいる人のとこ
ろに行き、癒すのです。そして彼らに「神の国は近づいた」というのです。よい訪れを告
げ、痛みに対して仕えるのです。
 また、これを受け入れる人がいれば受け入れない人もいることがわかります。この事は
自分に力がないと嘆く必要がないことを示していると思います。自分に力がないと嘆く人
はまだ自分の力に頼っているのです。そうではなくて、神様の恵みの中に入れられている

。神の恵みの時がやってきた。そのことを伝えるのです。
 17節からは派遣された72人が帰ってきてからのことが書かれています。ここから2つの
ことを見てみたいと思います。一つはイエス様がサタンについて言われたこと、もう一つ
は派遣された弟子たちが喜ぶことに対してイエス様が言われたことです。弟子たちがイエ
ス様の「名前を使うと悪霊さえも私たちに屈服します」と言ったことに対してイエス様が
「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。」と言われました。これ
はどんなことを言っているのでしょうか。ヨブ記を見ると、サタンは神様のそばにいて、
ヨブに対して力を振るうことを神様から許されています。ですから当時はサタンは神様の
そばにいて力を振るっていたと考えられていたことがわかります。天から落ちたというこ
とはこの天上での神様のそばにいて力を振るう地位を失ったことを意味しています。それ
をイエス様が見られたということは、サタンの力がイエス様には及ばないこと、そのこと
を示していると思います。すなわちイエス様は暗い力をも超えておられることを示してい
ます。だからイエス様の名前を使うと悪霊が屈服するのです。これはわたしたちが歩む中
で暗い力が絶対的な力を振るうことはできない。イエス様と共にいれば大丈夫だというこ
とを示しています。
 もう一つのこと「しかし、悪霊があなたに服従するからと言って、喜んではならない。
あなたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」とはどんなことを意味している
でしょうか。イエス様は何を言いたいのでしょうか。わたしたちはどうしても自分の力、
それがイエス様の名によったとしても、自分の力を誇ってしまいます。弟子たちの言葉の
中には、この事があったでしょう。それに対してイエス様は、その力が自分に与えられて
いるということではなく、神様の支配、神様の恵みが来ていてその中に置かれていること
、そのことを伝えることが大切であることを示されていると思います。自分にはとてもそ
のようなことはできないというのではなく、そういう時はまだ自分の力に頼り、自分の力
で何かしようということの逆の表れで、自分の力でしようということの表れでもあるので
す。イエス様によってもうめぐみの時が来てそこに生かされているのだから、そのことを
信じて歩めばいいのではないでしょうか。