礼拝説教
イザヤ65:1~9、ガラテヤ3:23~29、ルカ8:26~39
神様によってのみ子による救いの出来事を示され、さらに聖霊の降臨によって、その働
きが神様の側から私たちのもとにもたらされることを知らされ、神様は3つの在り方で私
たちにかかわってくださることを覚えた三位一体主日を終え、いよいよ聖霊降臨後の教会
の暦に入りました。わたしたちがどのように信仰を持って歩んでいくかが示される季節で
す。その最初に与えられたものが汚れた霊、悪霊を追い出されるイエス様の出来事です。
福音書の場面はガリラヤ湖の向こう岸ゲラサ人の地、すなわち異邦人の地での出来事で
す。ここに汚れた霊に取りつかれた一人の男の人が出てきます。墓場を住まいにするとか
、鎖につながれていたとか、足かせをはめられていたとか、取りつかれていた霊はたくさ
んであったとか、暗さを表わす姿がそこにあります。その霊が男から出て行って豚の中に
入り、その豚が崖からなだれ落ちて死んだとか、ルカには出ていませんが同じ内容を伝え
るマルコでは2000匹であったと豚の数を知らせています。これらのことに、その暗さ、
豚の悲惨な姿にわたしたちは圧倒されてしまうでしょう。しかし、わたしたちはこの事に
圧倒されるだけではなく、この事を通してルカがわたしたちに伝えている大切なことに心
を向けることが大切です。
ルカがわたしたちに一番伝えたいことはどんなことでしょうか。まずそこに書かれてい
ることは、悪霊はイエス様に対してまず「頼むから苦しめないでほしい」と嘆願から始め
ています。そしてその後に続く嘆願の中には「底なしの淵」に行けという命令を出さない
ようにとのことが書かれています。この「底なしの淵」というのは悪霊が終末に永劫に流
刑に遭う場所であり、二度と人間の世界で支配できない放逐場あるそうです。ということ
はイエス様は悪霊をこのような「底なしの淵」に送る権威を持っておられるということを
示しています。すなわちこれらのことでルカがわたしたちに伝えたいことは、イエス様は
悪霊に対しても主権を持っておられる方であること、すなわち悪霊がイエス様を支配する
ことはできないで、イエス様こそ悪霊を支配される方であるということです。この事はと
ても大きなことです。なぜなら私たちは人生の歩みで暗い力に出会うことが多くあるから
です。しかしその時イエス様につながっていれば暗い力に支配されることはないことを示
しているからです。
私たちが信仰生活を歩んでいくとき、大切なことは光の中を歩むことでしょう。そのた
めにもイエス様は「わたしは世の光である」と言われています。パウロもエフェソ書の中
で「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の
子として歩みなさい。光からあらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」と言っていま
す。
とはいえ私たちの人生の歩みの中では暗い力が襲ってくるのも事実です。人間関係の中
で、支配されたり、支配したり、怒りを感じたり憎しみが生じたり。また競争の中から嫉
妬やコンプレックスが生じたり、自己中心の思いからくる争いや貪欲さ、また病気や死や
老いや失うことへの恐怖。隣人への疑い。数えたらきりがないほどあります。
このような暗い力が支配することは物語によく取り上げられます。シェークスピア作の
4大悲劇のひとつオセローもこの暗い力を取り扱っています。内容は「ヴェニスの軍人で
あるオセロが、旗手イアーゴーの奸計にかかり、妻デズデモーナの貞操を疑い殺すが、の
ち真実を知ったオセロは自殺する」という悲劇です。その背景として将軍オセローはムー
ア人であり、ヴェニスの人たちから軽く見られる人種であるということ。旗手イアーゴー
は出世した同僚に嫉妬して、彼を貶めるために彼とデズデモーナが関係を持っているとオ
セロに吹き込みます。色々なことからオセローは妻に疑いを持ち、それが膨らんでついに
殺してしまうのです。このような極端なことはなくても、人の悪意が働いて、人の心に疑
い、暗い思いを生じさせることはわたしたちの日常の中にもよくあることです。ある人が
悪口を言ったとき、それを聞いた人が、悪口を言われた人を否定的に考えるようになるこ
とはよくあるでしょう。
現代の高齢者にとって、老いや失うことは大きな不安材料です。テレビで良くも悪くも
認知症をよく取り扱っています。年を取ればいろいろなものが失われ、記憶力は衰えるの
で、認知症への不安を感じる人は多いでしょう。
これに対して今日の日課がわたしたちに伝えることは、そして私たちの信仰生活で大切
なものとして伝えることは、イエス様こそ、暗い力をも支配される方、その暗さを打ち破
られる方であるということです。だからイエス様に照らされて、光の中を歩むことが大切
であることでしょう。暗い思いを自分で打ち破ろうとしてもなかなかむつかしいことです
。光であり、暗い力をも支配されているイエス様に結ばれていることが大切でしょう。例
えば認知症の問題にしても、どうだろうかと不安の中にいればその不安はますます強くな
るでしょう。少しの解決は医者に行って調べてもらうことでしょうが、その時はよくても
その後においては不安があるでしょう。でもイエス様につながっており、命もイエス様の
御手の中にあること、終わりの時にはまことの命の世界に招いてくださることの信仰の中
にいれば、今の弱さや失われていくことも受け入れながら歩んでいくことが出来るのでは
ないでしょうか。
人に対する悪意という暗い思いについても同じことが言えます。相手を大切にされるイ
エス様、愛の内に立っておられるイエス様に結ばれていれば、人を大切にし、悪意よりも
善意の中に歩むように導いてくださるでしょう。イエス様と結ばれて、光の中を愛の中を
歩んでいきましょう。