礼拝説教
列王記上3:5~12、ローマ8:26~39、マタイ13:31~33、44~52
コリント第1の手紙13章、愛の賛歌と呼ばれているところですが、そこの13節に「それ
ゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、
愛である。」とパウロは言っています。繰り返しますが、愛を最も大いなるものと言って
います。そしてローマ書の今日の日課で最後のところに、色々な状態をあげた後に「わた
したちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことは
できないのです。」と高らかに示しています。
愛はその存在自体を大切に思い、大切にすることです。愛する者、また、愛されている
ことを知る者には喜びが伴います。そして生きる力が与えられるのです。このことはまた
最後にみてみましょう。
今日の旧約聖書の日課は王様に即位したときに、今の自分にとって何が一番大切かを間
違えないで理解したソロモンの出来事です。ソロモンがダビデ王の後をついで、王位に就
いたとき、夢枕に神様が顕われ、何でも望むものをかなえてあげると言われました。皆さ
んのところに神様が顕われ、なんでも望むものをかなえてあげると言われたら、何を望ま
れますか。ソロモンはその時王位に就いたばかりです。立派な王になろうと思っていたで
しょう。そうしたら父ダビデ王のようになりたい、いやダビデ王をしのぐような強い王に
なりたいと思うことが普通ではないかと思います。また豊かになって豪華に暮らしたいと
も望むかもしれません。しかし、ソロモンは王として一番大切なことを理解してそれを望
みました。「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することが出来るように」
と求めました。ソロモンは今の自分、すなわち王位に就いた自分にとって何が一番大切な
ことかを理解したのです。そしてそれを求めたのです。神様もそのソロモンの望みを喜ば
れたとあります。色々な思いがあるわたしたちにとって、何が今一番大切かを知ることは
簡単なことではありません。それをソロモンは知ることが出来たのです。
今日の福音書の日課は天の国のたとえ話です。その内容は2種類のことと、最後の裁き
のことが示されています。最初の二つのたとえは、天の国は人間の力ではなくて、自然に
(神さまの力だろうけれど)大きく成長するというたとえで、後半の二つのたとえは、そ
のものを見出したら何を捨ててでもそのものを手に入れたくなるというたとえです。それ
ほど天の国は大切であることが示されています。草や木や、子供を見ても、人間の力の及
ばないところで、成長していることは不思議ですね。人間が色々お世話をして、成長させ
たのは自分の努力と思うかもしれませんが、パウロが「成長させてくださったのは神です
」(1コリント3:6)と言っているとおりですね。その成長する不思議な力は人間の手に
及ぶものではありません。植物を育てても、数日後に見ると本当に成長していますし、子
供たちも久しぶりに見ると、成長していて驚きます。天の国もそのように良い形で成長す
ると示されています。
今日の使徒書の箇所は重要な個所だと思います。新共同訳聖書では後の部分が「神の愛
」と題されていますが、そこでまず神様がわたしたちの味方であると言われています。そ
の味方であることがどのようなことの中に顕われているかというと、「わたしたちすべて
のために、その御子をさえ惜しまずに死に渡された方」と神様のことが示されています。
さらに、終わりの時にイエス様が神の右に座っていて、わたしたちのために執り成しをし
てくださる。しかもそのイエス様は私たちの罪を贖うために十字架の死を受けられ、しか
も復活された方である。だから誰も私たちを罪に定めることはできないと言っています。
そしてこのキリストの愛から私たちを引き離すことが出来るものはないと言って、艱難
や、苦しみや、迫害、飢えなどをあげています。そして「わたしたちは、わたしたちを愛
してくださる方によって輝かしい勝利を収めている」いい、その後よいものも、困難や悪
いものも、すべてのものをあげて、こういいます。「死も、命も、天使も、支配するもの
も、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高いところにいるものも、低いところ
にいるものも、他のどんな被造物も」と言い、それが「わたしたちの主キリスト・イエス
によって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」と高らか
に宣言しているのです。わたしたちはこの神の愛によってとらえられ、結ばれているので
す。
このイエス・キリストによって示された神の愛にまことに出会った人、そしてそれが今
自分が生きることにおいて一番大事なもの、何を捨ててでもそれを受け取ることの大切さ
を理解して受け取ったものは、なんと幸いなひとでしょう。その愛の中に生かされるとき
、小さな種が大きな木に成長するように、充実した豊かな人生を送ることが出来るでしょ
う。このように神の愛に生かされていることを知るものはまた、同時に、隣人をこの愛に
よって愛すことへと送り出されていくでしょう。