2026年10月31日「真の自由を生きる」「西川晶子牧師」

礼拝説教

/2026年10月31日  宗教改革記念礼拝 宇部・厚狭礼拝説教要
旨

「真の自由を生きる」

エレミヤ31:31-34、ローマ3:19-28、ヨハネ
8:31-36
宗教改革記念主日です。マルティン・ルターが1517年の10月31日に、
当時の免罪符(贖宥状)制度への疑問を中心とした、いわゆる「95箇条
の提題」をドイツのヴィッテンベルク城教会の扉に張り出した。それを
端緒に宗教改革運動が起こったことにより、この日プロテスタント教会
の誕生日ともされています。
宗教改革について、ルターがカトリック教会に対して反旗を翻したと
いうような言われ方は、正確ではありません。ルターが求めたことは、
自身も修道司祭として所属していた教会の「リフォーム」でした。自分
が所属する教会が誤った方向に進んでいる。それをリフォームしたいと
いう思いから始まった出来事です。
そしてそれはルター自身の回心体験から起こりました。「真理はあな
たがたを自由にする」という言葉が今日の福音書に出てきますが、私た
ちはこの「真理」という言葉に窮屈さを感じないでしょうか。つまり、
真理と呼ばれるものがあって、そこから外れないようにしなければなら
ない、と感じられるのです。
宗教改革の教理として「信仰義認」ということがよく言われます。私
たちは「行いによるのではなく、信仰によって義とされる」…しかし、
信仰がなければ義とされない、神の前に正しいと認められないというの
であればそれもまた行為ではないかと。そして我々の心の奥底には、「
正しい信仰」など見当たらないのです。
ルター自身、正しい行いをして義とされることを求めた者でした。し
かし正しくあろうとすればするほど、どこまでも自己中心的な自分を発
見する。それがルターの葛藤です。しかしルターがそのように自分自身
と聖書と向き合い続けた中で出会ったのが、「人はどこまで行っても正
しくあることなどできない、しかしその自分をキリストによって受け入
れてくださった神様」でした。神の恩寵により、私たちは弱い者である
にも関わらず、神に受け入れられる。その恵みを信じて受け取るのが「
信仰」です。自分の弱さに縛られる自分、しかしその自分を捕らえてく
ださる神の恵みがある。この神の真実こそが、私たちを自由にする「土
台」です。私たちはすでに、その恵みにとらえられている。確かな土台
に信頼し、その恵みを受け取るところから、すべてを始めていきたいの
です。