2026年10月17日「この世のこと、神のこと」「西川晶子牧師」

礼拝説教

2026年10月17日、18日  聖霊降臨後第21主日 礼拝説
教要旨

「この世のこと、神のこと」
イザヤ45:1-9、Ⅰテサロニケ1:1-10、マタイ22:15-
22
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」…「カエサルの
ものはカエサルに返しなさい」という慣用句で、一般的にもそこそこ知
られる言葉です。
この箇所は、シンプルに言うと、イエスの足もとをすくおうと結託し
てやって来た反対者たちを、イエス様が上手い言い回しによって退けた
、という物語です。
前提となっているのは、当時のユダヤの支配者であったローマ皇帝に
対して税金を納めるのは、神以外のものをあがめることになるのではな
いかという、当時の宗教的な議論です。その中でのイエス様のこの答え
は、皇帝への納税と神への信仰の間で悩んでいた人々に、一つの道を示
すものだったと思います。
しかし、今日のイエス様の言葉を、たとえば「神への信仰とこの世の
義務は次元がまったく異なるものであり、両方を守ることにはまったく
矛盾はないのだ」というように単純化することには、少し慎重になるべ
きでしょう。
この世界は決して神さまの敵などではなく、共に神さまが治められる
世界である。それはとても大切な考え方であると思います。しかし、た
とえば「この世のことはこの世のこと、教会が関わるべきではない」と
いう考え方については、たとえばドイツの神学者マルティン・ニーメラ
ーの「ナチスが共産主義者を攻撃したとき」という有名な詩が参考にな
るでしょう。
今日のイエス様の言葉に、こう付け足すことができると思います。「
皇帝のものは皇帝に返してやるがよい。しかし、神のものは神に返すべ
きである。私たちの良心、私たち自身、またこの世界そのもの、それら
はあくまで神のものであり、信仰や生き方そのものまで皇帝に売り渡し
てはならない」と。現在、わたしたちは、少なくともこの国において皇
帝に支配される状況にはありません。しかし、私たちが当たり前に生き
ていることの中に、もし神の愛からかけ離れたものがあるならば、やは
り私たちは注意深くあるべきではないかと思うのです。この世の中を生
きつつ、それでも神の恵みの中にあるものとして生きるのが、私たちの
キリスト者としての歩みであると思います。この世の中を生きつつ、私
たちは神の大きな眼差しの中で生きるものである。それを忘れずにいた

いのです。