2026年9月5日「主イエスを真ん中に」「西川晶子牧師」

礼拝説教

/2026年9月5日、6日  聖霊降臨後第15主日 礼拝説教要旨

「主イェスを真ん中に」

エゼキエル33:7-11、ローマ13:8-14、マタイ18:15-20

今日の福音書のイエス様の教えは、私たちにある種の覚悟を求めてくる言葉です。「兄弟があなたに対して罪を犯したとする。まずは、誰もいないところで、二人だけのところで忠告をしなさい…」。兄弟とはこの場合、信仰共同体の仲間を指します。今日の聖書は、共同体の中で罪を犯した者、特に自分に対して過ちを犯した者とどう向き合うか、ということを語っているのです。

宗教改革者マルティン・ルターは、「大教理問答」の中で、十戒の第8戒「偽証してはならない」について、この掟は「隣人に対してわざとうその証言をして相手を陥れる」ことだけを禁じているのではなく、「その人の名誉を貶めるような言動をしないこと」まで含まれるのだと言います。そしてそれは今日の福音書の日課の中の、イエス様の言葉にもつながります。

それはできうるかぎり、相手の名誉をどこまでも尊重し、相手が恥をかかないように向かい合うことです。一対一での忠告というのは、忠告する側も勇気がいることです。つまりはそれほどまでに相手のいのちに対して責任を持ち、相手の尊厳を傷つけず、生かす道を選びなさいと言うのです。

それには「意思」の働きが必要です。意識的に「相手を大切にしよう」「相手を活かそう」という意思を持たなければできない、私たちには厳しいご命令です。

しかしその私たちに、まず神さまご自身が、愛を持って呼びかけてくださいました。旧約には、離れていく神の民に対して、戻ってくるように繰り返し呼びかける神さまの姿が記されています。そして、その神様が送って下さったイエス様も、そう呼びかけられます。その方を私たち人間は拒絶し、十字架に付けてしまったのですけれども、しかし主は、その私たちに対し、十字架からの復活という形で、愛を返された。この地上の見える教会は、その天上の神の恵みの写しです。

それでもどうしても、分かり合えない時もある。私たちには人間的な限界がある。しかし私たちは、たとえ限界を感じた時であっても「イエス様、どうかその人のことをお願いします」そう祈って委ねていくことが赦されています。悩みつつ、祈りつつ、我々の中におられる主にすべてを委ね、歩む民でありたいのです。