2026年7月18日「あなたは毒麦か」西川晶子牧師

礼拝説教

/2026年7月18日、19日  聖霊降臨後第8主日 礼拝説教要

「あなたは毒麦か」

イザヤ44:6-8、ローマ8:12-25、マタイ13:24-
30&36-43
今日のたとえ話は、私たちに「裁き」を連想させるものではないかと
思います。この世界の主人である神様は、この世界に良い麦を蒔いた。
しかし、蒔いたのではない毒麦がそこに混じっている。この世界を神様
はよく造られたはずなのに、しかしこの世界の中には神の恵みを妨げよ
うとするものが確かに存在する。これは確かに、この世界をよく表して
います。そしてそれは最終的に、刈り入れの時により分けられるのだ、
それが天の国なのだ、と主は言われます。
このようなたとえ話を聞くと、私たちは「自分はどちらだろうか」と
考え込んでしまったり、あるいは周囲で「毒麦探し」を始めることもあ
ります。私たちはしばしば「自分は毒麦ではないか」「あの人は毒麦だ
」、そのような思いにとらわれ、がんじがらめになってしまう。しかし
その中で、今日の福音書の中で大切なことは、その良い麦と毒麦とを混
在したままにしておきなさい、と神様が命じておられることではないか
と思うのです。
僕たちは、畑の持ち主である主人に、「今のうちに毒麦を取り除いて
しまいましょう」と進言します。しかし、主人は「刈り入れの時まで育
つままにしておきなさい。今見えている範囲で判断してはいけない」と
言われます。そうして、収穫まで、その畑は毒麦もよい麦もひっくるめ
、大切に育てられるというのです。 
わたしたちはいったい何が毒麦で、何が良い麦かなどということを本
当の意味で判断することなどできません。わたしたちは神様ではないの
ですから、神さまのようにすべてを判断する、また特に他人のことも自
分のことも自分の尺度で決めつけることなどできないし、するべきでは
ないのです。しかし、大切なことは、その私たちのことを、きっと良い
実りを結ぶと信じて、心を込めて育ててくださっている主人がおられる
のだということではないかと思います。
私たちは自分のことも、他人のことも決めつけるのではなく、最終的
にすべてを判断してくださる神様にゆだねて、ただ、目の前の現実にお
いて、神の御心を生きることを尋ね求めていけばよいのです。私たちを
「良い実を結ぶ」と信じて育ててくださるその恵みに信頼し、その眼差
しに導かれて歩みたいと思います。