2026年7月11日「種蒔く人」西川晶子牧師

礼拝説教

/2026年7月11日、12日  聖霊降臨後第7主日 礼拝説教要

「種蒔く人」

イザヤ55:10-13、ローマ8:1-11、マタイ13:1-9&18-23
イエス様は神の国のことを、目に見えるもの、しかもイエス様のもと
に集まった群衆が日常的に触れていたものものにたとえて語られました
。神の国、神の働きと言うのは遠く離れた手の届かないところにあるも
のではなく、私たちの生きる現実のただ中で生きて働くものである、と
いうことです
 その中で今日の福音として、「種蒔く人」のたとえが語られました
。昔の中東地方では、先に種を土にばらまき、その後で土を耕して種を
土に漉き込む、そのような種の蒔き方が一般的であったようです。しか
しそれは、必ずしも良い土地に種が落ちるわけではない、ということで
もありました。一見、良い土に蒔かれたように思えても、その下が固い
石地であったり、土の中に茨の種が紛れ込んでいたりして、蒔かれた種
が実を結ばない。よくあることだったようです。
私たちはこのたとえ話に、多かれ少なかれ、「自分はどうだろうか」
と考えるのではないかと思います。神様が、私たちの中にみことばの種
を蒔き、この世界の中で神の恵みが大きく成長し、実るようにと期待し
ておられる。しかし私たちは、せっかく蒔いていただいた恵みを無にし
てしまう者である。本当であれば、蒔かれた恵みを豊かに育ててそれを
この世界の中で分かち合っていくものでありたい。しかし、私たちは決
して「良い土地」などではない。そのことを私たち自身、良く知る者で
あると思います。
しかし、神さまはその私たちに種を蒔き続けてくださっている、それ
こそが福音です。私たちは良い土地であると胸を張って言える者ではな
い、しかし神さまは、その私たちに繰り返し種を蒔き、耕してくださる
方である。そして、蒔かれた神さまのみことばは無駄になることはあり
ません。なぜなら神さまのみことばそのものが生きて、働いてくださる
からです。私自身やこの世界が石ころだらけであっても、茨に塞がれた
ように思われるところであっても、それでもその中で、わたしたちをあ
きらめることなく、種を蒔いてくださる方が生きて、働いておられる。
わたしたちの思いを超えて働いてくださる、その神の恵みの働きに信頼
して、また新しい一週間へと、歩み出していきたいと思います。