礼拝説教
/2026年7月4日、5日 聖霊降臨後第6主日 礼拝説教要旨
「重荷を担うあなたへ」
ゼカリヤ9:9-12、ローマ7:15-25a、マタイ11:16-
19&25-30
今日の福音書の日課の前半は「笛吹けど踊らず」ということわざのも
ととなった聖句です。「笛吹けど踊らず」は、「音頭を取って何かをや
ろうとしても誰も動かない」ことのたとえとして用いられます。しかし
このときイエス様は、イエス様が生きておられた時代の中での警告とし
て、この言葉を語っておられます。
神さまはイエス様の救いの先触れとして洗礼者ヨハネを、そしてイエ
ス様を、この世界の中に送られた。しかし、送られた側の人間は「こち
らが期待していたような言葉を語ってくれない」と拒絶した、というの
です。
イエス様は当時の社会の中で、神の救いから遠いとみなされた人々と
積極的に食事を共にし、仲間となられました。イエス様はそのようにし
て、わたしたちの世界の中に、神様の恵みを示して下さいました。それ
は、幼子のようなものこそが主の近くに招かれる恵みです。ここで言わ
れる幼子、というのはこの世の中において何事をもなす力がないような
無力な存在を指します。時代の中でどう生きていいかわからない、社会
の重荷に生きることに疲れ果てている、イエスさまが招かれたのは、そ
のような人たちでした。そこにイエス様は「わたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう」と言われます。
イエス様は「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」とも言われま
す。イエス様は「重荷をなくしてあげよう」ではなく、「あなたが負う
重荷を、わたしの重荷に乗せ換えよう」と言われます。この礼拝から出
発する私たちの目の前には、やはり現実がある。その中で私たちが、「
幼子」のように生きることは、かえって難しいこともある。しかし、「
わたしの荷は負いやすい」とイエス様は言われます。なぜならそれはイ
エス様がともに担ってくださる荷物だからです。
聖書は、イエス様を信じることですべてが解決する、とは言いません
。。わたしたちはやはり弱いし、重荷を負っている。しかし、「柔和で
謙遜」な方が、その重荷を共に担って、歩んで下さっている。イエス様
は神の子でありながら、最後の最後まで人としての重荷を担って歩まれ
ました。その方の恵みに私たちも、自分自身をゆだね、また新しい一週
間へとここから出発したいのです。