2026年6月20日「地に落ちる一羽をも」西川晶子牧師

礼拝説教

/2026年6月20日、21日  聖霊降臨後第四主日 礼拝説教要

「地に落ちる一羽をも」

エレミヤ20:7-13、ローマ6:1b-11、マタイ10:24-
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「わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来た」「わたしよりも
父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない」…このイエス様の言葉
は、昔から、聖書を読む人たちに、少なからず衝撃を与えてきたもので
あると思います。イエス様は「平和の主」であるはずだ。「愛」である
はずだ。そのイエス様がかえって対立を煽り、分裂をもたらすようなこ
とを言われている。
この言葉は、福音書が書かれた時代のキリスト者たちが直面していた
現実が背景にあります。家族や家、地縁や血縁というものが大変な重み
をもっていた古代社会の中で、当時迫害されていたキリスト教を信じる
ことは命がけのことでした。そのような状況の中にいる人に向かって語
られた言葉です。
今、日本に生きる私たちは、クリスチャンだからといって迫害される
ことは、ほとんどありません。しかし私たちの身近な所にある「平和」
が、誰かの苦しみに目を閉じることによって保たれていることがある。
イエス様は確かに「平和の主」として来られました。しかしそれは見
せかけの平和のためではありません。当時の社会は神さまが望まれる状
態から、ほど遠い状態にあった。人の命に優劣が付けられ、信仰にも優
劣が付けられ、「群衆が飼い主のいない羊のように打ちひしがれていた
」。だからこそイエス様はこの世に来られて、私たちの間で見せかけで
はない本当の愛を語られたのです。
私たちはこの世界の中において、そのイエス様のみことばを歩む者で
す。私たちは、自分の正しさを神の正しさと取り違えてしまう弱さも持
っています。イエスの弟子であるとは、自分が正しいという剣を振るう
ことではなく、自分もまた弱く過ちを犯す者として、今ここで主が何を
求めておられるのかを問い続けることです。その中で、私たち自身、迷
い、傷つくこともある。しかしその私たちにイエス様は「恐れるな」と
言われます。誰にも価値がないと思われる小さな雀さえ、神はお忘れに
なりません。まして、迷いながらも神のみこころを求める私たちを、主
が見捨てることはありません。その、髪の毛の一本までも数えていてく
ださる主に信頼して、私たちも御心を求めて歩んでまいりたいと思いま
す。