礼拝説教
/2026年6月13日、14日 聖霊降臨後第三主日 礼拝説教要
旨
「あなたを遣わす」
出エジプト19:2-8a、ローマ5:1-8、マタイ9:35-10:23
今日の福音書の日課の大部分は、イエス様の弟子たちの選びと派遣に
ついて記されています。イエス様は、弟子たちの中からいわゆる「十二
使徒」を選ばれました。彼らは決して宗教的な素養がある人々ではあり
ませんでしたが、しかしイエス様は彼らを御自分の宣教の担い手として
遣わされます。「小さく、弱い者を神様は招き、ご自分の『宝の民』と
される」、これは聖書の招きの本質です。
イエス様はここで、「イスラエルの家の失われた羊のところに行って
、平和を告げなさい」といわれます。「イスラエル(古代イスラエル民
族、旧約聖書の中で神に招かれた最初の人々)の失われた羊」とは、本
来神さまの大切な『宝の民』とされながら、そこから失われた者、外れ
た者として扱われていた存在のことを言います。そこに「平和を告げな
さい」とイエス様は言われるのです。
聖書の言う「平和」とは、ただ争いがないだけの状態をいうのではな
く、神さまとの関係、隣人との関係、自分自身がよい状態であることを
言います。失われた者のところへ行き、平和を告げる…それはその人が
あるべき状態にその人を取り戻す、ということ、つまり神の『宝の民』
というその人の本来のいのちを回復するということです。
私たち自身決して神の招きにふさわしい者ではない。しかしそのわた
しを神さまは御自分の宝としてくださった。「わたしたちがまだ罪びと
であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことに
より、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ローマ5:6-8)弱い
私たちに向かって、神様がまず、手を差し伸べてくださった。そこにあ
るのは私たちへの主の深い「憐れみ」です。
人間の抱えているわずらいや苦悩、そういったものを主はご覧になっ
て、その痛みを、ご自分の痛みとしてくださるために、キリストはこの
地上を歩んでくださった。そのキリストが、弟子たちを招かれたように
、この私たちをも招き、遣わされる。その派遣の根拠は何よりもまず、
このイエス様からまずわたしたちが憐れみによって招かれた、ここにあ
るのです。まずわたしたち自身が、その恵みに力づけられたい。そして
勇気を持って、出て行くものでありたいと願います。