礼拝説教
/2025年12月27日、28日 降誕節第一主日説教要旨
「嘆き叫ぶ声の中で」
イザヤ63:7‐9、ヘブライ2:10-18、マタイ2:13-23
改めて、クリスマスおめでとうございます。今日はまだクリスマスのうちであり、イエス様のご降誕の喜びを改めて祝い直すときです。しかし、今日の福音書では、イエス様のお生まれの喜びを帳消しにするような出来事が語られます。
イエス様の誕生を快く思わず、自分の立場が脅かされることを恐れた当時のヘロデ大王とその一派が、ベツレヘムに居た2歳以下の幼児をみな殺しにしたというのです。キリスト教会は伝統的に、12月26日をこの出来事を記念する「幼子殉教者の日」としてきました。
ヘロデが象徴するのは、クリスマスの喜びをかき消してしまうような、神の救いの約束を妨げようとするような、この世界の罪の力です。そして、それはわたしたちの周りにあるだけではなく、わたしたちの内側にあるものでもあります。
ヘロデに象徴されるわたしたちの罪と言うのはとても大きく、わたしたちはしばしばそれに呑み込まれそうになる。そしてそれはクリスマスが喜びのうちに始まったとしても、それでもこの一年間、この世界が歩む道のり、イエスが生まれてからも何千年もこの世界で繰り返されてきた営みではないかと思います。
しかし、その只中で、神様は小さな命の側に立たれます。ヘロデにたいして、ヨセフの力はあまりにも無力です。しかし、その無力なヨセフの、命を守ろうとするその小さなわざをとおして、そこに働いてくださる神様によって、この世界の中で、神の救いのできごとは消えることなく前進していくのです。
もちろん今日のこの物語は、単純にヨセフはイエス様を連れて逃げることができた、良かったね、で済ませられる話ではない。奪われた幼子の命は、どの命も失われてはならないものだった。イエスが誕生されてなお、あってはならないことがこの世界の中で起こり続けている、その悲しみを聖書は語ります。
クリスマスの哀しみ、しかしそこで聖書が語るのは、そのどうしようもないできごとの中で生きて働かれる、神の救いの出来事です。今も世界の中で、あってはならないことが起こっている。しかしそれでも、そのただなかにこそ、神様はおられる。そう信じて祈りつつ、新しい年に向かって歩み出したいと思います。