/2025年12月20日、21日 待降節第四主日説教要旨
「聖家族」
イザヤ7:10‐16、ローマ1:1-7、マタイ1:18-25
いちばん初めのクリスマスは決して手放しの喜びの中で祝われたわけではなかった、そう聖書は語っています。今日の聖書では、イエス様の母となったマリアのいいなずけであり、のちに夫となったヨセフが登場しますが、彼はこの時、マリアのお腹に赤ちゃんがいるという知らせに、苦悩しています。
ここで記されるのは、おとぎ話ではなく、ヨセフの現実です。ヨセフにとっては、マリアのお腹の子はマリアが不義を働いてできた子だとしか思えない。そのような現実の中で、彼は葛藤しています。「彼は正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」とありますが、これはマリアを守るための苦肉の策です。
ヨセフは「正しい人であった」と記されます。聖書において、「正しさ」はしばしば「律法に従う人」という意味で用いられますが、しかしここでマタイが言うヨセフの「正しさ」は、彼がマリアを守ろうとする行為を指します。彼の中には疑いも不信もあったでしょうが、しかしそれを越えて、ヨセフはマリアとお腹の命を守ろうとしたのです。そして、思い悩み行き詰るヨセフに、神様からの働きかけがあるのです。上からの働きかけがあります。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい」…マリアの中の命は、神によって与えられた命であるのだからとヨセフに夢で現れた天使は言います。そして悩めるヨセフとマリアの間に送られたその幼子から神の救いがはじまる、「インマヌエル(神がわれわれと共におられる)」のできごとが始まるのだ、と言うのです。
何も問題がない家庭ではなく、破れや葛藤を抱えて、その中で家族となっていこうとする彼らのただ中に、神さまがイエス様を送り、神の恵みがそこにあることを示された。私たちはそこに、我々が問題や破れを抱えて歩むそのときに、「神が我々と共におられる(インマヌエル)」ことを知ることができます。最初のクリスマスが手放しの喜びの中で祝われたわけではなかったことは、悩み多い現実を生きるわたしたちにとって、大きな慰めです。クリスマスがやってきます。この世界の現実へのイエス様の訪れを、感謝をもってお迎えしたいと思います。