礼拝説教
/2025年11月15日、16日 聖霊降臨後第23主日説教要旨
「正しい恐れ」
マラキ3:19‐20a、Ⅱテサロニケ3:6-13、ルカ21:5-19
教会の暦は一年の終わりを迎えようとしています。来週の聖霊降臨後最終主日をもって、教会の暦は終わりを迎え、新しい一年が始まります。そして先週に引き続き、今日の福音書でも「終末」「世の終わり」についてのイエス様の言葉が読まれました。
「世の終わり」という想像を絶する出来事だけでなく、私たちひとりひとりにとって、終末、すなわち自分の終わりと向かい合うことは、恐怖や不安を伴うことです。今日のルカ福音書において、イエス様が語られた「戦争、暴動、地震、飢饉や疫病、天変地異」…これらの言葉もまた、私たちに恐れを促します。
しかし、今日の福音書のイエス様の言葉は、ただやみくもに私たちを怖がらせようとして語られたことではないのです。むしろイエス様のメッセージの中心はそのただ中で「惑わされてはならない」ということにあります。
もともと、今日の聖書の個所は、イエス様が当時のエルサレム神殿に詣でて、その壮麗さや美しさに目を奪われている人々に向かって語られた言葉です。当時の人々にとって神殿は、ただ美しいだけでなく信仰のよりどころでもありました。しかしこの神殿は、紀元70年の都エルサレムの陥落と共に失われてしまいます。そして当時のキリストを信じる人々は、それに加えて宗教的な迫害をも受けることになりました。ですからここで言われていることは、実際にルカ福音書が書かれた当時の信仰者が直面していた現実であったのです。
イエス様が語られた世の中の混乱は、今の時代にも確かに重なります。しかしそのただ中で「あなたがたの髪の毛の一本までも失われることはない」とイエス様は約束されます。それは「私たちが自分で数すら知らない髪の毛の一本まで、私たちのことを神様はしっかりと支えて下さっている」ということです。
「終末」を考えるということは、決して地上から目をそらすことではありません。たとえ目の前に苦しい現実があったとしても、しかしその目の前の現実を越えて私たちを支えてくださる神さまがおられる。そのことを知り、そのことに信頼して歩み抜くことが、「忍耐によって、命を勝ちとる」ということなのです。