2025年10月25日「私を支える真理」西川晶子牧師

礼拝説教

/2025年10月25日、26日  宗教改革主日説教要旨

「わたしを支える真理」

エレミヤ31:31-34、ローマ3:19-28、ヨハネ8:31-36

本日は宗教改革記念主日です。マルティン・ルターが1517年10月31日に、当時の免罪符(贖宥状)制度への疑問を中心とした、「95箇条の提題」をドイツのヴィッテンベルク城教会の扉に張り出した。それを端緒に宗教改革運動が起こったことから、この日はプロテスタント教会の誕生日ともされています。

宗教改革といえば、ルターがカトリック教会に対して反旗を翻した、というような言われ方が多いのですが、正確ではありません。ルターの95箇条は、彼自身も修道司祭としてカトリック教会に所属していたからこその「教会はこれでいいのか、誤った方向に進んでいないか」という問題提起であったと思います。そしてそれは元々もともとはルター本人が、深い悩みの中から、自分を解放してくれる真理へとたどりついた、そのような経験があったからです。

熱心な修道士であった頃、ルターは今日の二番目の日課にも登場した「神の義」という言葉に悩まされました。彼は、「神は正しい方であり、過ちを罰せずにはおられない方である。であるならば罪深い自分が受け容れてもらえるはずがない」というところに深く悩まされます。しかし彼は、この「神の義」という言葉と徹底的に向き合う中で、目が開かれ、本当の「神の義」と出会います。

それは神様ご自身が正しい方であるがゆえに、私たちがどんなに罪深くとも私たちをどこまでも愛し抜かれる。そして、そのために与えられたのがイエス様であって、その十字架によって私たちは神のものとして捉えられるのだ、というところがルターのたどりついた真理でした。

 聖書のいう「真理」には「土台」という意味があります。わたしたちのいのちを支え、生かす確かなものがある。罪に苦悩しながら生きるわたしたちは、キリストの十字架によって、神様にとらえられている。その神の愛こそが私たちがよって立つべき土台です。そのことを思い起こし、その恵みによって絶えず新しくされた者として歩むのが、わたしたちがこの日を記念する意義であると思います。わたしたちをとらえ、新しくしてくださる神の恵みに信頼し、その恵みを受け取るところから、すべてを始めていきたいのです。