2025年9月13日「あなたを捜す神」西川晶子牧師

礼拝説教

2025年9月13日、14日  聖霊降臨後第14主日説教要旨

「あなたを捜す神」

出エジプト32:7-14、Ⅰテモテ1:12-17、ルカ15:1-
10
有名な「見失った羊」のたとえが語られました。たった一匹の失われ
た羊をどこまでも探し求めるという羊飼いになぞらえ、わたしたちへの
神の愛を表している、として有名なたとえ話です。しかし実はイエス様
はこのたとえ話を、たいへん緊張を伴う場面で語られました。
イエスさまのところに、「徴税人や罪人」が近寄ってくる。その様子
を見て、いファリサイ派の人たちがこういうのです。「なんでこのイエ
スというヤツはあんな連中を招くんだ」。その彼らに向かってイエス様
が語られたのが、このたとえでした。あなたたちが厄介者扱いしている
徴税人や罪人、彼らのことを神さまは喜んでおられるのだよ、とイエス
様はそのファリサイ派に向かって語っておられるのです。これはファリ
サイ派の人々にとって、手厳しい一撃であったでしょう。
もし我々がイエス様が御言葉を語られたその場にいたならば、いった
いどの立場に立って、このたとえ話を聞いたでしょうか。もしかすると
私もイエス様ではなくファリサイ派の肩を持っていたかもしれない、と
思います。
おそらく、迷っている途中の羊は、自分が迷っていることに気づけま
せん。わたしたちもまた、しばしば自分が迷っていることに自分では気
づかず、いつの間にか失われた者となっている。イエス様の言葉はその
ような私たちの姿をあらわにします。しかしそれこそが私たちを招く羊
飼いの声だと思うのです。
今日の福音書のイエス様のたとえ話は、徴税人や罪人と言った人たち
だけではなく、ファリサイ派の人々に向かってこそ語られた言葉である
と思います。あなたがたが軽んじる人々を神が捜し求め、喜び連れ帰ら
れるように、あなたのことも、神様は捜しておられる。あなたが戻って
くることを、神様は大きな喜びとしてくださる。「99匹を野原に残して
でも、見失った一匹を見つけるまで探し回らないだろうか」とイエス様
はなんでもないことのように言われます。それくらいあなたは神様にと
って大切な存在なのだ、とこんなわたしに対してもイエス様は語ってく
ださるのです。私たちは皆、その恵みを「一緒に喜ぶ」ようにと招かれ
てここにいる者である、そのことを心に留めて歩みたいのです。