2025年8月16日「分裂を語る神」西川晶子牧師

礼拝説教

/2025年8月16日、17日  聖霊降臨後第10主日説教要旨

「分裂を語る神」

エレミヤ23:23-29、ヘブライ11:29-12:2、ルカ
12:49-56
「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うの
か。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ」。私たちにとっては
受け入れがたい、イエス様の言葉です。イエス様は平和のために来られ
たのではなかったのか、なのにあなたは私たちを親しい人と敵対させる
ために来たとおっしゃるのですか。
この言葉は実際に、この時代のキリスト者たちが直面していた現実が
背景にあると言われています。新約聖書の時代、イエスを信じるという
ことは時代の価値観と敵対することであり、イエスを信じることによっ
て、自分が所属していた家族や地域のコミュニティに居られなくなる、
というような状況がありました。
少なくとも今の日本において、イエス様を信じることにより家族と断
絶することはないかもしれません。しかし、イエスを信じるということ
で、この世の価値観との対立を迫られることもあるということはあると
思うのです。
「わたしは地上に火を投ずるために来た」と、イエス様は言われます
。もちろんイエスは「平和の君」として来られました。それは、本当の
意味での平和、神と人との和解です。それは私たちの愚かさを見ないこ
とにするのではなく、むしろそれを明らかにしたうえで私たちに「神に
帰れ」という呼びかけなのです。
そのイエス様の言葉は、決して優しいだけのものではなく、私たちが
普段見ないようにしているところに、「火」のように切り込んできます
。しかしイエス様の火は、決して私たちを滅ぼすためのものではなく、
私たちを神のものとして新しく造り変えてくださる、そのような火です
。そのためにこそイエスはこの世のただ中で十字架に至るまで、私たち
のために神の言葉を語り、そのいのちを使い尽くしてくださいました。
イエスと共に生きる、それは、時に周囲の価値観と対立する、痛みを
伴う道です。しかし、そこには見せかけではない、本当の平和が生まれ
るのではないかと思います。聖書は時に耳に痛いことも語ります、私達
の弱さを火のように貫きます。しかし、そのように私たちを砕くみこと
ばは、同時に私達を新しく造り上げてくださるのです。その神さまの恵
みに、耳を傾けていきたいと願います。